通天閣(大阪市)【2/2】展望室から見えるアベノハルカス・天王寺公園・市立美術館。展望室から見える釣鐘屋本舗。ビリケンさん。「グリコ、つぶしたる」のグリコと森永がある地下。「大阪は何もない」などと「大阪嫌いの東京もんのおっさん」が言うような文句は言ってもらいたくない。通天閣の設計者 内藤多仲 は東京タワーの設計者でもある。
[第1089回]
通天閣(大阪市浪速区恵美須町)見学の2回目です。
入場券を買ってエレベーターで上の展望室の階に上がります。
4階(84m)・5階(87.5m)に展望室があり、5階の上に屋外展望室があるのですが、

↑ この写真は5階の展望室からだったと思います。

↑ 同じく5階の展望室から見たもので、南西の方角を見たもので、向こうに見える背の高い建物がアベノハルカスです。
ここで、一度は考えてみてほしいと思うのは、向こうの方に山が見えますでしょ。東京では関東平野がけっこう広いので、少しくらい高い建物を建てても向こうの山と高さを比較することはあまりないのですが、大阪平野はそれほど広くないので向こうの山が見えるのです。 最初に東京圏で住んだ時、物足りないというのか、物寂しいのか感じたのは、高村光太郎の「智恵子抄」で「智恵子は東京には空がないと言う」という文句のように、もうひとつ「東京には山がない」と感じたことでした。大阪にいると北に行っても東に行っても南に行っても少し行くと山があったのが、東京はなかなか山がない。ないわけではないのですが、山にたどりつくまでの距離が大阪より長い。
そんな感じで大阪平野は関東平野と比べると平野が狭いので、高い建物を建てるとその向こう側に山が見えるわけです。ここで一度は考えてみてほしいのですが、向こう側に見える山より高い建物ってどうなのか、というものです。 せっかく、考えてアベノハルカスを作ったのにと思う人もあるでしょうけれども、向こう側の山より高い建物ってどうなのだろう、と一度は考えてみてほしいように思います。
愛知産業大学の建築学科のスクーリングの際に、守屋先生が「高さを競うなんてのは後進国の発想だ」と言われたことがありましたが、私もそう思いました。 「建築家」に属する人、大学の建築学科の先生というのは高さを競うことを肯定しないと出世に差し支えるのか、何かそういうことでもあるのか、と思っていたのですが、 なんでも、日本の国立大学で原子力について本格的に研究しているのは、東大と京大と東京工大(現 東京科学大工学部)の3つだけで、東大と東京工大(東京科学大工学部)は推進派ばっかりで、京大だけが推進派と反対派がいて、推進派は出世するが反対派は出世が遅く、小出裕章さんなんかも定年の時点でまだ「助教」(助手)だった、京大はそれでも『熊取六人衆』とか言って、出世が遅れようが関係あるかい! という反対派がいる大学で、「京都大学は日本一です」と小出裕章さんも話しておられたが、建築学科でも「高さを競うような建物」「『あほと煙は高い所に登る』ような建物」を奨励すると出世できて、そういうものを批判すると出世できないとかあるのか・・とか思っていたら、こういうことを言える人もいるんだ・・、と思ったのでした。
※ ウィキペディアー熊取六人衆 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E5%8F%96%E5%85%AD%E4%BA%BA%E8%A1%86

「新聞うずみ火」連続講演 熊取六人組 原発事故を斬る - 今中 哲二, 海老澤 徹, 川野 眞治, 小出 裕章, 小林 圭二, 瀬尾 健
高い建物が絶対に悪いということではないのですが、「より高く」ではなく「よりその場にふさわしい高さで」という思考が必要ではないか、と思うのです。「あほと煙は高い所に登る」と昔から言いますが、実際問題として、いわゆる””タワマン””てのは、そんなところがありませんか。 インターネット上で見ていると、タワマンでは高層階の方がえらい・・とか思っている人がいるらしく、そういう発想からして本来的ではないのではないか。 一般に家相では地面から離れる大地のパワーを受けられなくなることで高層階は凶相と言います。時には、元々、地相が良くない場所に建てたものなので、地面から離れた方がいいようなタワマンもあるようですが、休日に山に行くのとは事情は同じではないと思いますし、「あほと煙は高い所に登る」というように、最近、キャバクラかそういう店で男に貢がせて大金を得て、それで住んだ所が””タワマン””で、タワマンの前で刺殺されたとかいう、そりぁ、そういうことやってりぁ、そりぁそうなるわな・・みたいな女がニュースに出ていましたでしょ。「家相が悪い」マンションに住むからそうなった・・のか、そうではなく、すでに死相が出ているような女だからそういう所を買って住んだのか。 「ふ~みん」がやってる””検証「・・の人間低学歴」説””とかいうやつで考えると、「タワマンに住みたがる人間、『なんらかの事情でカネつかんだ低学歴』多い説」はありそうにも思うのです。低学歴というよりも、高学歴か低学歴化にかかわらず教養水準が低い人が多い印象があります。「あほと煙は高い所に登る」というのはありそうに思いますよ。「高い所」も、昔から「家を建てるには高燥の地を選ぶべし」と言われてきて、「少し高くて乾燥した所」が住宅には良いと言われてきたのですが、「家を建てるには高燥の地を選ぶべし」の「高燥の地」とタワマンの高いのは意味が違うように思います。
好みの問題もあるかもしれないが、あんまり””タワマン””ていいとは思わんな。「あほと煙は高い所の登る」と上の方に登って、なんかそれでえらいみたいに思っている人って、どうなのだろう。アベノハルカスは高層階に登ったことはないのだが、どうなのか、一度上がってみたいとは思うが、生駒山の向こう側まで見えたなら「気持ち悪い」と思いませんか。これは上がって見て再度考えたいとは思いますが、「『向こう側の山より高いビル』てどうなのか」、一度、考えてみてもらいたいように思います。 世界最高の高さのビルはドバイのブルージュハリファらしいが、ドバイというと、一度、行ってブルージュハリファを見てみたいと思いながら行けずにいますが、地図で見る限り、ドバイは片方は海で片方は砂漠という場所ではないでしょうか。そういう場所ならともかく、奈良県は「大和は国のまほろば、たたなづく青垣、やまごもれる大和しうるわし」というように周囲を山で囲まれた盆地で、大阪府から兵庫県の南東部は、北西部に六甲山地・北部は老坂産地・東部は生駒山地・金剛山地で南部は和泉山脈で、西部だけが大阪湾という地理的条件の場所で、どこからも向こうの山が見える・・という所であまりにも高い建物ってどうなのか。高層ビルが絶対に悪いというわけではないのですが、「高さを競うなんてのは後進国の発想」・「あほと煙は高い所に登る」・「地面から離れるほど地相は悪くなる」といったことは一度は考えてみた方がいいように思います。
手前の樹木が植わっている所は天王寺公園と天王寺動物園で、横長の建物は市立美術館と思われます。
※ 通天閣HP https://tsutenkaku.co.jp/
通天閣HP 「展望室」https://tsutenkaku.co.jp/tour/index.html
アベノハルカス https://www.abenoharukas-300.jp/index.html
天王寺公園 https://parksgreenery.city.osaka.lg.jp/article/parks-tennnoji/
天王寺動物園 https://www.tennojizoo.jp/
大阪市立美術館 https://www.osaka-art-museum.jp/
子供の頃、阪和線の沿線に住んでいたので、天王寺駅を降りてすぐの天王寺動物園にはよく行きました。天王寺公園の中にある市立美術館にも母に連れられて行ったことがあり、日展の展示を見学したことがありました。 母の家系は学校の先生が多い家系で「勉強する人」が好きという家系でした。「慶應タイプ」の人とか、開成高校とか私立6年制受験校の人と話をすると、美術作品なんて「そんなもの、何の価値があるんだ」と言う人が多いのですが、そういう人は「年収を得る仕事につくために大学に行ってるんじゃないか」と考えていて、そういう思考を「思考の柔軟さ」とか肯定的に評価するのですが、私などは母の方の影響を強く受けて育った子供でしたので、「学問は、学問そのものとして価値がある」と考えていて、『旧約聖書』「箴言」には「智慧を売ってはならない。むしろ、智慧と教訓と悟りを買え」という文句があり、又、『新約聖書』の「福音書」には、盲人がイエスに「先生、お助けください」と言い、イエスが「どうしてほしいのか」と尋ねると、「見えるようになりたい」と言う、という場面がありましたが、私はその「見えるようになりたい」とうのが学問の目的だと思っていました。
しかし、そう思わない人もあったようで、学問の目的は何か・・というと、慶應タイプの人とか開成高校など私立6年制受験校の人とかは「有名企業に勤めて高年収になって、ブタ女と結婚したい」と考えるところですが、私などは子供の頃から「学問は買うものであって、売るものではない」と認識してきましたので、学問を進めることで、それでブタ人間になるというのはおかしい、と思うようになりましたが、こういったことを、うかつに慶應タイプの人に言ってしまうと、「おまえ、いったい何をおかしなこと言ってるんだ」と言われるのでした。ブタ人間にはブタ人間の喜びというものがあるようで、『新約聖書』の「福音書」には「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直ってあなたたちに噛みついてくるであろうから」というイエスの言葉がありますが、ブタ人間・イヌ人間に「聖なるもの」を渡したなら、おそらく、足で踏みつけにして、向き直って噛みついてくることになりますから、ブタ人間・イヌ人間には注意しなければいけません。かつ、ブタ人間・イヌ人間はブタ・イヌが「正常」「健常」「思考の柔軟さ」「自我が確立されている」「独立自尊」とか思っていますから、彼らとはできるだけかかわらない方が良さそうです。
こういう「学問は学問それ自体として価値がある」「学問は買うものであって売るものではない」「智慧を売ってはならない。むしろ、智慧と教訓と悟りを買え」「学問とは『見えるようになりたい』というもの」などと言うことを慶應大学の人間にうかつに言うと、「そういう甘ったれた考えだと勤め先なくなるぞ」とか、「おまえ、結婚相手ないぞ」とか言われます。慶應という学校は「学問は塾風の婢(はしため)」とでもいった大学で、そういう「学問は塾風の婢(はしため)」とでもいった姿勢の人間のことを「企業はそういう人間を喜ぶ」とか言う人だらけの大学で、自分自身で考え自分自身の考えを述べると「せんえつ~う!」(僭越)と言って怒られる塾風「僭越」主義の大学、なにかと「僭越」と言って言論弾圧される大学で、「塾風栄えて学問滅ぶ」みたいな姿勢のことを「独立自尊」と言う大学ですから、そういう所ではこういったことは口にしない方がいいみたいでした。 「揺り籠から墓場まで慶應」小此木啓吾 独善主義症候群とその””後継者””(「引き継ぐなよ、そんなもん」)・シンパ・テカから「モラトリアム人間病」にかかっているとか「診断」される危険があり、「診断」されるとロボトミーとか電気ショックとか、あるいは「入院療法」(=逮捕監禁)・「薬物療法」(=薬漬け・毒盛り)・「作業療法」(=強制労働・無賃労働・労働搾取)や緊縛療法(気に食わない「患者」をベッドに縛りつける)とか「カウンセリング」(=洗脳・言いくるめ・マインドコントロール)といった「治療」される危険がありますから、もう怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい・・・
小此木啓吾は2003年9月にやっと、野垂れ死にしてくれましたが、その「後継者」なのかエピゴウネンなのか同類なのかはいるかもしれませんから、油断できません。・・小此木啓吾はずいぶんと長生きしやがったな・・という印象でしたが、2003年9月に野垂れ死にした時点で73歳だったらしく男性の平均寿命はインターネットで見ると今、80歳らしいので男性の平均寿命より7歳若く死んだらしいが、早く逝ってもらいたいのになかなか死によれへん、という人間の場合はずいぶんと長生きしよった印象を受けます。三笠書房は小此木啓吾のビョーキ本シリーズでずいぶんと儲けたのではありませんか。 うちの父親はそういう慶應が大好きで、特に「慶應の経済」と「神戸大の経済」が大好き人間で、逆に私は小学校の1年から慶應は嫌いで、特に「慶應の経済」と「神戸大の経済」だけは首をもがれてもいかされたくないと小学校の1年からずっと思い続けてきた大学でした。
私は小学校の1年から4年の途中まで、毎日曜日、絵の先生の所に通って指導を受け、おかげさまで相当上達しました。だから、小学校の時の図画工作・中学校の美術の成績は良くて、高校受験の際の内申書では音楽と美術は10段階相対評価で「10」で「主要科目」より音楽と美術の方が得意なくらいでした。小学校の4年の途中で転校したのですが、前半の小学校で1回、後半の小学校で1回、学校から大阪府の大会に1名、絵を提出するということがあって、別の先生から計2回、選んでもらったことがあります。選んでもらって大阪府の大会に出してもらえたようでしたが、その後、どうなったかは何も言われなかったので、そこまでだったのかもしれませんが、将来、画家というものになれるかどうかはともかく、たとえ、画家といったものになれなかったとしても、絵は続けたいと思っていたのでした。
しかし、北野高校の合格発表の時、北野高校は行きたいと思っていた高校でしたので合格したのはうれしかったのですが、合格発表の日に、高校では芸術科目は音楽・美術・書道の3つのうちから1科目選択だと言われ、合格発表の日のうちに選んで届けでること、と言われて困りました。もともと、音楽・美術・書道の3つとも苦手だった人は、できるだけ負担が軽い科目を選ぼうとしたようですが、私の場合は、書道はそれほどやりたいと思っていなかったのですが、音楽と美術はどちらも好きでしたので、どちらか片方だけと言われると困ったのです。
どうしようか・・と思っていた時、うちの父親が「あんたは音楽や」と言って決めてしまったのでした。なんで、私は音楽だと決まっているのか・・と思いましたし、父親にそういうものを決められてしまうというのが嫌だったのですが、うちの父親はそういう人間で、「あんたは音楽や」と言って決めてしまったのでした。なんとも悲しかった。うちの父親はなんで、そんなものを勝手に決めてしまうのかとその時は思ったのでしたが、うちの父親はそういう人間だったと後からわかりました。
さらに、その後、うちの父親は「おまえ、宴席で黒田節うたえ、黒田節。おまえ、歌、上手いから黒田節うたえ」と言うのでした。発声練習して・腹筋運動して・コールユーブンゲンやって・ピアノの練習やって、「歌え、チャンコロ。黒田節~い! とってちってたあ~あ!」と言うのでした。父親というのは「そういうもの」だったのかもしれないが、どうも、よその父親はうちの父親みたいではないみたいでしたが、うちの父親はそういう父親でした。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に孝に孝に。戸締り用心、火の用心、マッチ一本、火事の元~お、とってちってたあ~あ!」と毎日のように言われてきました。「戸締り用心、火の用心」のおかげで、努力の果実はすべて踏みつけられました。小学校の低学年の時に『フランダースの犬』なんて本を読み、登場人物が絵描きになってお爺さんを助けようとする話を読み、自分も日展に出展されていたような絵を描きたい、と思ったことがありましたが、「戸締り用心、火の用心、マッチ一本、火事の元、とってちってたあ~あ!」はすべてを踏みつぶしました。

フランダースの犬 (新潮文庫) - ウィーダ, 花子, 村岡
※ YouTube-フランダースの犬 1975 よあけのみち 大杉久美子 (OP → slides) https://www.youtube.com/watch?v=hBWjT8y0hW0
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。担当科目「国語」)は「あなたのお父さんみたいな、あ~んなもんのすごいすんばらしいお父さんがいたら、私だったらものすごいうれしいわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたに甘えがあるからよ。私は両親が離婚したんだからねえ。私は父親がいなかったんだからねえ」とおっしゃるのでしたが、そんなにいいなら、あのおっさん、あんたにあげるよ。引き取ってくれよ、と何度も思いました・・が、決して引き取ってくれませんでした。北野高校は行きたいと思って受けた学校だったので合格発表の時はうれしかったのですが、卒業して何年か経って考えてみると、どう考えてもいい学校ではありませんでした。特に2年の時にあの「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ」というのを最大の自慢にしているあの女に担任もたれたというのは災難でした。 美術館には何か所か行きましたが、通天閣の真下あたりに見える大阪市立美術館が私にとっての原点のような美術館でした。 うちの母親は「親というものは息子が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行って、やりたい勉強をやって、つきたい仕事につけるようにと思えばこそ、無理にでも勉強させようとするものなんや」と私が小学生や中学生の頃、言っていて、私はそれを本気にしてしまって努力したのでしたが、実際に大学に行く時になると、うちの父親は「そんなもん、せんでもええんじゃチャンコロろすけっ! とってちってたあ~あじゃあ~あ」と言い、すべてを踏みつぶされました。
※ YouTube-【ナブッコ】行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って【Va’ pensiero】https://www.youtube.com/watch?v=pE3HgV408hI
そして、うちの父親は北野高校の旧制作野礼子から「あなたのお父さんみたいな、あ~んなもんのすごいすんばらしいお父さんがいたら、私だったらものすごいうれしいわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたに甘えがあるからよ。私は両親が離婚したんだからねえ。私は父親がいなかったんだからねえ」と言ってもらって、「その通りやあ。ええ先生やでえ。さすがは北野高校の先生やあ。さすがやなあ、さすが女でも神戸大でてるだけのことあるでえ。作野先生は『北野高校の先生』という『普通の先生』よりもエライ先生なんですでえ。わかってますのんくわあ~あ!」と言うのだった。そう言ってもらうために旧姓作野礼子は「あなたのお父さんみたいな、あ~んなもんのすごいすんばらしいお父さんがいたら、私だったらものすごいうれしいわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたに甘えがあるからよ。私は両親が離婚したんだからねえ。私は父親がいなかったんだからねえ」とまたもや言いまくるのだった。卑怯な女だ。旧姓作野礼子の母親は娘の育て方を間違えていたのではないか。「旧姓作野礼子の母親」という女も、なんとも迷惑な卑怯な女だ。
・・そして、それからたいして経たないうちに、旧姓作野礼子は無名校の教諭に転任になり、《「北野高校の先生」という「普通の先生」よりもエライ特別の先生》から「無名校の普通の先生」に格下げ・格落ちになりよった。ざまあみろ!!!
私は子供の頃から、よその子は買ってもらえる物でも買ってもらえないということが多かった。何も買ってもらえなかったわけではなかったが、うちの母親は節約するものは節約して、本当に出さないといけない時に出せるようにと考えていたようで、何も買ってもらえないということではなかったが、幼稚園や小学校の同級生、近所の子と比べるとよその子は買ってもらっているものを買ってもらえないということが多かった。そのかわり、大学に進学する時には行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行かせてもらってやりたい勉強をさせてもらってつきたい仕事につかせてもらえるのだろう・・と思いこんでいたが、違った。高校3年になると「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしに感謝かんしゃ感謝かんしゃ。戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事の元。とってちってたあ~あ! すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために捧げ尽くす、捧げ尽くす。わしのために、わしのために犠牲になる、犠牲になる。すべてをすべてをわしのために犠牲にする、犠牲にする!」になった。騙された。
私が20歳になる年、うちの父親は「こいつには、子供の頃から、どんなもんでも、何でも何でも、欲しいというものは、何でも何でもええもんばっかし、何でも何でもこうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってきたからっ!」と言い出したので、びっくりした。「そんなことない! 絶対にそんなことない!」と言ったのだが、そうすると、「うわあ。こいつ、こんなこと言いよる。こいつ、ビョーキやな。これはビョーキがこいつに言わせておるんやな。ロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ 電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪」と言いまくるのだった。
よく、そういうことを言うと思う。 だいたい、私が幼稚園の年長組の年には、12月に私が幼稚園のクリスマスに「幼稚園からのクリスマスプレゼント」としてもらった「15ゲーム」(4×4 の16マスに1から15の数字が書かれた正方形15個をひとつひとつ動かして順番を変えるゲーム)を1週間後の正月に取り上げて、イトコにくれてやったのは誰だ?!? 普通、いくらなんでも、そんなことするかあ? と思うが、うちの父親はそういうことをする父親だったのだ。「そんなもん、こいつには、こんなもん、いっくらでもこうてやってやってやったっとんのやあ」と事実と正反対のことを言って、叔父夫婦とイトコに「ええかっこしい」してやろうとしたわけだ・・が、イトコはいい気はしなかったと思う。うちの父親は私が1週間前に幼稚園でもらったばかりの物を取り上げてイトコにくれてやることで、「わしは、こいつには何でも何でもこうてやってやってやってやったっとんのや。おまえは買えんのやろ」という態度を弟(叔父)にとって、それが「ええかっこしい」になると思ったようだったが、おそらく、イトコとしては自分の親が侮辱されたと思って言い気持ちはしなかったのではないか、と思う・が、幼稚園児がクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物を1週間後の正月にとりあげて、よその子にくれてやる親がどこにあるか?・・というと、我が家にあったのだった。それがうちの父親だった。そのうちの父親が私が20歳になる年になると、「こいつには、よそとはちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも何でも、ええもんばっかし、こうてきてやってやってやってあげてやってあげてやってきたからっ!」と事実と正反対のことを言い出し、何を言うかと驚き、「違う! 絶対に違う!」とこれはいくらなんでも認めてはならんと思って私が言うと、「こいつ、こんなこと言いよる。これはビョーキがこいつに言わせておるんや。こいつにロボトミーやったるべきや、ロボトミー♪ もしくは電気ショックやったらんといかん、電気ショック、電気ショック♪ 電気ショックやってこいつに二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん」と言い出したのだった。いくらなんでも、そんな親あるかあ~あ・・と思うが、あるのだ。どこにあるかというと、我が家にあったのだった
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「私は両親が離婚したんだからねえ」「私は父親がいなかったんだからねえ」というのを最大の自慢にしていたが、「父親がある」ということはどういうことかというと、幼稚園でクリスマスに「幼稚園からのクリスマスプレゼント」としてもらったばかりの物を1週間後の正月にとりあげられてイトコにくれてやられるということを意味した。それが「父親がある」ということだ。旧姓作野礼子さんは「私は父親がなかったんだからねえ」と何度も何度もおっしゃるのだったが、「ええなあ、うらやましいなあ。ほんまにええなあ」と思ったものだ。「父親がなかった」ということは、幼稚園の時に12月のクリスマスに「幼稚園からのクリスマスプレゼント」としてもらったばかりの物を1週間後の正月にとりあげられてイトコにくれてやられる、ということはない! ということだ。「ええなあ、父親がなかった娘はええなあ。うらやましいなあ。ほんまにええなあ」と心から思った。 「父親がある」ということは、そういうことを子供の頃から何度も何度もされて来て、その上で20歳になる年になると「こいつには、よそとはちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも何でも、ええもんばっかし、こうてきてやってやってやってあげてやってあげてやってきたからっ!」と事実と正反対のことを言われる、ということを意味している。「そんなことない! 絶対にそんなことない!」と否定すると「ロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ もしくは電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪ ロボトミーか電気ショックやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてこましたらんといかん!」と言われるということを意味している。「父親がある」ということはそういうことだ。旧姓作野礼子は「私は父親がなかったんだからねえ」「私だったら、あなたのお父さんみたいな、あ~んなもいんのすごいいいお父さんがいたら、ものすごくうれしいわよ」と何度も何度もおっしゃったわけだから、旧姓作野礼子さんも、私と同じように、幼稚園でクリスマスに「幼稚園からのクリスマスプレゼント」としてもらったものを1週間後の正月に父親からとりあげられてイトコにくれてやられて、「こんなもん、こいつにはいっくらでもこうてやってやってやったっとんねやから」と事実と正反対のことを言われる、その上で20歳になる年になると「「こいつには、よそとはちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも何でも、ええもんばっかし、こうてきてやってやってやってあげてやってあげてやってきたからっ!」と事実と正反対のことを言われ、「違う! 絶対に違う!」と言うと、「こいつ、こんなこと言いよる! これはビョーキがこいつに言わせておるんや。ロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ もしくは電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪ 電気ショックかロボトミーやって、こいつが二度とこういう口をきけんようにしてこましたらんといかん♪」と言われてもらいたい。それ以上、否定すると、ロボトミーか電気ショックかされる危険があるから、事実と正反対のことをどんなに言われても、それでも否定できなくされる。それが「父親というもの」である。「父親がある」ということはそういうことである。「ロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ 電気ショックやったらんといかん、電気ショック、電気ショック♪ 電気ショックやってこいつが二度とこういう口をきけんようにしてこましたらんといかん!」と言うというのが「父親というもの」である。

ハナヤマ(HANAYAMA) パズル・エクササイズ かつのう 15ゲーム 対象年齢6才~

スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」=別名「スタンガン」 )
私は小学校の1年から2年にかけて、ヤマハの「オルガンを中心とする音楽教室」に通い、毎日欠かさず家でオルガンの練習をしていたのですが、私が小学校1年のある日、突然、何人かの男がクルマでやってきて「オルガンもらいにきました」と言って、毎日、私が練習していたオルガンを取り上げて持っていこうとするのでした。「なんで、オルガン持っていくのお」「それ、ぼくが毎日、練習しるオルガンやでえ」「なんで、ぼくが練習してるオルガンを持っていくのお」と訴えたのでしたが、男たちは子供が言う文句など無視して毎日私が練習して、練習後は毎日布でふきあげていたオルガンを持ち去ったのでした。男たちが私が毎日練習していたオルガンを持ち去った後、本当に情けない気持ちで、うちの母親に「あしたから、どうやってオルガンの練習したらいいのお?」と言いました。ルビンシュタインはピアノがない所では板の上で指を動かして練習した、とソビエト連邦の映画『シベリア物語』の中で登場人物が言う場面がありましたが、小学校1年の子供にその「板の上で指を動かして練習する」というルビンシュタインがやったという方法でオルガンの練習をしろと言うのでしょうか。
※ ルビンシュタイン⇒YouTube-Rubinstein (ルビンシュタイン)plays Chopin: Polonaise op. 53 (live, correct pitch, HQ)https://www.youtube.com/watch?v=_jJuuthbFvc
うちの母親は「ピアノがあります。ピアノの方がオルガンより上やから、ピアノでオルガンの練習すればよろしい」と言うのでした・・が、ピアノとオルガンは似ているけれども、鍵盤をたたいた感触も違えば音色も違うのです。「アコーディオンでピアノの練習しなさい」とか「ピアノでアコーディオンの練習しなさい」とか「オルガンでアコーディオンの練習しなさい」とか「ピアニカでオルガンの練習しなさい」とか言いますか? うちの母親もよく聞いていなかったみたいで、うちの父親がうちの母親にもよく話さずに、「オルガンほしい」と言う人に「それなら、うちに要らんオルガンありまっさかいに、クルマで取りにきてくれたら、オルガンあげまっさ」とか、どうも、たまたま入った喫茶店の隣りの席に座っていた人か何かそういう人に「オルガンあげます」とか言ってきたみたいで、そう言われて「ええ人やなあ、聖人みたいな人やなあ」と思って取りにきよったみたいでした( 一一) ( 一一) 父親というものは「そういうもの」なのです。よくまあ、自分の息子が毎日毎日、練習して練習後は布でふきあげてきれいにしているオルガンを「オルガンみたいなもん、要ら~ん」と言ってよその人間にくれてやるもんだな・・と思いますが、父親があるということは、そういうことをされるということなのです。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは「私は父親がいなかったんだからねえ。わかってんのお」「私は両親が離婚したんだからねえ。わかってんのお」と何度も何度もおっしゃるのでしたが、「父親がいなかった」ということは、こういうことをされることはなかった、ということのはずなのです。違いますか? 違わないと思いますよ。 どうも、うちの父親はこの類のことをよくやるみたいで、母は最初、「オルガンもらいに来ました」と言って来た人は会社の人かと思ったけれども、母が知らない人で、会社の人ではなかった可能性が大きく、うちの父親がたまたま入った喫茶店の隣りの席にいた人が「オルガンあったら子供に習わせるのになあ」とか話していたのを横で聞いて、「それなら、うちに要らんオルガンありまっさかいに、クルマで取りにきてもろたらオルガンあげまっさあ」とか言いよった・・か、どうもそんな感じだったみたいです。それで、ヤマハのオルガン教室に通って、毎日毎日、私が練習していたオルガンを「そんなもん、要ら~ん」とよその人間にくれてやりよった・・みたいでした。父親というのは「そういうもの」なのです。但し、これはうちの父親のことであって、よその父親もそうかというと、どうも、よその父親はそうではない印象でしたが、うちの父親は「そういうもの」だったのです。私が毎日毎日練習していたオルガンをとりあげて持ち帰った人は、自宅に持ち帰って息子か娘に練習させようとしたのでしょう。中卒高卒優先主義の(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県南部営業所「副所長」になっていた木下(きした)(男。2000年代初め当時、40代前半)は私と同年齢の男でしたが、私に「インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても宅地建物取引主任者にしても、ぼくらはどんなにしても通らないのにあんたは簡単に通る。あんたは何の努力もしていないのに簡単に通る。ズルイ!」などと私に言ったのでしたが、私はずるくないはずだ。私は裏口で通ったのではない。ガチンコで通ったのだ。それも、(株)一条工務店という会社は新卒入社のバカでも入れる私大の建築学科卒の人間には入社したその日からお殿様扱いにして、据え膳でお勉強させてあげて建築士の資格を取らそうとするが、私はそうではなく、片方で過酷な勤務で営業活動をしてある程度以上の契約実績を残した上で、涙ぐましい努力と工夫をしてやっと通ったのだ。特にインテリアコーディネーターは営業本部長の天野隆夫が取ってくれと言うから、元々はインテリアコーディネーターの資格を取得するつもりではなかったものを会社の上役が取ってくれと言うものは取らなきゃならんだろうと思って大変な努力をして合格・登録したものだ。会社の上役が取ってくれというから大変な努力と工夫をしてやっと通ったものを「ずるい」などと言われる筋合いはないし、そういう口をきく木下の方こそ、「ぼくらはどんなにしても通らない」とか言って、実際は何もやってないくせしてそんなこと言いやがってからに、そちらの方こそよっぽど「ずるい!」。おそらく、私が毎日毎日、練習していたオルガンを奪い取った男の息子か娘も、せっかくオルガンを与えてもらっても、結局、練習せずにそのままになったのではないか。・・そんなところだろう。 うちの母の弟(私からすると叔父)はラグビー選手で「アタマがラグビー( 一一) ( 一一)」のおっさん、頭がラグビーでできているおっさんだったが、うちの母がその叔父の家に行くと、その息子、私より2歳年下のイトコの机の上に私が母に買ってもらったのと同じ『自由自在 ・・』(受験研究社)という本が置いてあったが、私が持っている『自由自在 ・・』はすべてのページに読んだ跡があるのに対して、イトコの机の上に載っていた『自由自在 ・・』はまったく開いた形跡がなく、まっしろ、まっさらのままで机の上に載っていた。それを見て「ああ、この子は勉強できんわ」と思った・・と言っていたが、なんで、毎日毎日、オルガンの練習した者ができるようになったら「ずるい」んだ? なんで、『自由自在 ・・l』のすべてのページを読んだ痕跡がある者が同じ物を買ってもらっても1ページも開いた痕跡がない者よりもお勉強ができたら「ずるい」んだ? 毎日毎日、練習しているオルガンを取り上げてよその人間にくれてやろうとする父親・・て、そんな父親あるんかい・・と思う人もあるかもしれないが、あるのだ。どこにあるかというと、我が家にあったのだ。我が家の場合は父親とは「そういうもの」だったのだ。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「あんたのお父さんみたいな、あ~んなもんのすごいいいお父さんはなかなかないわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたが甘ったれているからよ」と言いまくるのだったが、そんなにいいなら、あんたにあのおっさん、あげるから引き取ってよ・・と思ったものだったが、旧姓作野礼子はそういうことを言いまくるばかりで、決して引き取ってはくれなかった。うちの父親は旧制作野礼子からそう言ってもらって「ええ先生やでえ~え♪ さすがは北野高校の先生だけのことあるなあ~あ♪」とか言うておった( 一一) ( 一一) 旧姓作野礼子はそんなことを言うことで自分の評価を上げていたのだった。卑怯な女である。
うちの父親の勤め先の部下の森哲という男の息子は大阪経大通らん息子・・・て、どうやったら大阪経大みたいなもん、落ちるねん? 大阪経大て試験会場まで行って受験番号と氏名かいたら通る大学と違うんかい・・と思ったが、通らないそうで、私になら「おまえは産まれながらにして浪商やねんぞ。おまえは浪商として生まれてきた人間やねんぞ。おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんが、たとえ北野高校に行っても、それでもおまえは浪商やねんぞ。それに対して、わしは天高(天王寺高校)で慶應やぞお、わしはあ~あ! わかっとんのか浪商! 浪商の分際で天高で慶應のこのわしと一緒やなんぞと思うてはならんぞ、この浪商めがチャンコロろすけっ!」と毎日毎日言っていた。私は浪商高校なんて行ったことも受けたこともなく、たしか阪急の京都線の沿線のどこかにあったと思ったが最近は大阪府南部に引っ越したらしいが、最近、YouTube に「ヤクザのエリートの学校」とか言われる学校で「『東の国士館、西の浪商』と言われる東西の””ワルの名門””」と説明されていた高校だったが、阪急京都線の沿線でもどこにあるのかよく知らなかったが、うちの父親は私が子供の頃から「わしは天高やぞお、わしはあ」と何度も何度も言っていたので、本人がそう言うならそうなのかと思っていたが、そのわりには、なぜか明星高校から同窓会の案内状が何度も来るので、なんでかなあ・・と思っていたのだが、実際にうちの父親が卒業した高校は明星高校だったのだが「ほんまは天高」らしく、うちの父親が行った大学は同志社だったはずなのだが「ほんまは慶應」らしかったのだ。フリードリヒ=ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』には「精神的にけだかくあれ」という意味で「精神の貴族」という言葉があるが、うちの父親は「精神の天高(天王寺高校)」「精神の慶應」らしかった( 一一) ( 一一) それに対して私は「おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんが、たとえ北野高校に行っても、それでもおまえは浪商じゃ、この浪商めが! 浪商の分際で天高で慶應のわしと一緒の人間やと思うなよ、この浪商チャンコロ! おまえはチャンコロの民族で浪商の階級、わしはドイツ人の民族で慶應の階級なんじゃ。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! この浪商チャンコロめがあ!!!」と毎日毎日、私の眼を指で突き刺すようにして言っていた。大王製紙(株)の2代目は北野高校卒で東大に行こうとしたが合格できず慶應大に行ったが、息子は東大に行かせたいと思い、息子の3代目は筑波大付属駒場高校から東大に行った・・がラスベガスのカジノで「しょーもないことしい」やりよった・・らしいが、父親というものは、息子には自分が行った大学より評価が高い所に行かせたい、特に自分がどこそこに行きたいと思って行けなかった時には大王製紙の2代目みたいに、息子にはそこ以上の所に行かせたいと思うものではないのか・・と私は思っていたのだったが、「父親というもの」はそうとは決まっておらず、うちの父親のような父親の場合はそうではなくて、息子が自分より上の大学に行くということに精神的に耐えられないようだった。父親とは「そういうもの」らしい。よその父親はそうではない父親もあるようだが、うちの父親は「そういうもの」なのだ。それを北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「あ~んなもんのすごいいいお父さんというのは、なかなかないわよ。私だったらあなたのお父さんみたいなもんのすごいいいお父さんがいたら、ものすごくうれしいわよ。あなたがそう思わないのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたが根性ねじくれまがっているからであって、あなたが甘ったれているからよ。私は父親がいなかったんだからねえ。わかってんのお! 私は両親が離婚したんだからねえ、わかってんのお!!!」と何度もおっしゃるのだった。「わかっとんのか浪商! おまえは北野高校に行ってもそれでも浪商やねんぞ、浪商。義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育とは違うねんぞ。わかっとんのか。浪商は高校行くな浪商! おまえは浪商で浪商は高校行ってはいかんねんぞ浪商! 浪商の分際で北野高校に行くな浪商!」と何度も何度も言われたものだ。父親とは「そういうもの」だ。 うちの父親が信じていた新興宗教 女川教(めがわきょう)の教祖 女川(男。1980年頃当時50代前半。当時。大阪府豊中市在住)の同僚の医者屋の勝田(女。1980年頃当時、50くらい?)が私に「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないのだから、あんたは高校には行ってはいかんはずや。そやのにからに、あんたが北野高校に行ったというのは、それはあんたが甘ったれているからであって、本来、あんたは高校には行ってはいかん人間のはずや! ましてや、あんたは大学には絶対に行ってはいかんのや」と言い、そう言われてうちの父親は大喜び♪ 「そうや、その通りや♪ おまえは高校には行ってはいかん人間なんじゃ。それをおまえが北野高校に行ったというのは、おまえが甘ったれておるからなんや。ましてやおまえは大学には行ってはいかん人間なんじゃ。勝田先生はええ~えこと言いはるっ♪」と言って大喜びするのだった。それならば、勝田のバカ息子はバカ大学に2つも行ったのはいいのか、女川のドバカ息子は私立金権関西医大に「患者」を薬漬け・検察漬け・毒盛りして得たカネで裏口入学させた、ドバカ息子が裏口入学したのはいいのか? ・・というと、いいらしかった。勝田は「うちの息子なんか、高校や大学は義務教育と違うのに大学を2つも行ってるんやから、一生懸命勉強せんとあかんし、勉強させてやらんといかんいうことやなあ」という結論に持って行き、女川のドバカ息子はというと「うちの息子なんか裏口入学なもんやから、一生懸命勉強せんとあかんし、一生懸命勉強させてやらんといかんということじゃ」と、最初の前提、「義務教育は小学校と中学校であって高校・大学は義務教育とは違う」という所は同じでも、結論は勝田や女川の息子の場合は「一生懸命、勉強させてやらんといかんということや」という所に持っていき、私には「そやから、あんたは高校には行ってはいかんのに北野高校に行ったというのはあんたが甘ったれておるから北野高校に行ったということや。ましてや、あんたは大学には絶対に行ってはいかん人間や」というところに結論を持って行くのだった。勝手なこと言うやつらだ・・と思うが、たいていの親はよその親からそういうことを言われると怒るのではないかと思うのだが、うちの父親はよその人間からそういうことを言われると喜ぶのだ。「ええ~えこと言いはるっ♪ おまえは高校には行ってはいかん人間やのにからに北野高校に行ったんじゃ。のぼせあがるなチャンコロろすけ浪商~お!!! ましてや、おまえは大学には行ってはいかんのじゃ。」と言うのだった。そして「勝田先生の息子さんは(バカ)大学を2つも行ってられるらしいなあ。えらいなあ、えらいなあ、ものごっついえらいなあ♪」などと言うのだった。父親とは「そういうもの」なのだ。よその父親は「そういうもの」ではないように思えたが、うちの父親は「そういうもの」だった。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは「あなたのお父さんほどいいお父さんはな~かなかないわよ。ものすごくうらやましいわよ。私だったら、あなたのお父さんみたいなものすごいいいお父さんがいたら、ものすごくうれしいわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたの根性ねじくれまがっているからであって、何よりあなたが甘ったれているからよ。私は父親がなかったんだからねえ! わかってんのお。私は両親が離婚したんだからねえ。わかってんのお!」とおっしゃるのだった。勝田のバカ息子がバカ大学2つも行くのはいいらしく、女川のドバカ息子が私立金権関西医大に裏口入学するのもいいらしく、それに対して、私が府立の北野高校から旧帝大系国立大学に行くのは「勝田先生がおっしゃるように、おまえは高校には行ってはいかん人間であって、ましてやおまえは大学には行ってはいかんねんぞ。甘ったれるなあ~あ!」となるのだった。それでいて、うちの父親の部下の森哲という男のバカ息子は大阪経大もまともに通らん息子で、それを裏口入学させようとして、大阪経大の教授やっていたうちの母の弟(叔父)に頼みよったらしいのだが、叔父は「一千万もらってもお断りします」と断ったらしかった・・が、私には「おまえは高校には行ってはいかん人間やのにからに、そやのにからにお前が北野高校に行ったというのは、それはお前が甘ったれておるからやねんぞ。おまえは甘ったれておるから北野高校に行ってんぞ。ましてやおまえは大学には行ってはいかんねんぞ。勝田先生はほんまにええこと言いはるわあ♪」と言っていたくせして、森哲のバカ息子は大阪経大なんてのに裏口入学させようとしよった( 一一) ( 一一) 父親というのは「そういうもの」らしかった。「あなたのお父さんほどいいお父さんはなかなかないわよ。それがわからないというのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたが甘ったれているからよ」と北野高校の旧姓作野礼子に何度も何度も言われたが、それを聞いてうちの父親は「作野先生はほんまにええ先生やでえ。さすがは北野高校の先生だけあるでえ。普通、なかなか、あそこまでええ先生はないでえ~え」と言って喜んでいたのだった。私が府立の北野高校から旧帝大系国立大学に行くのは「おまえは大学には行かんでええ人間なんじゃ、このチャンコロろすけイタコ浪商めが、このチャンコロ!」と何度も何度も行っていた男が、森哲の息子は大阪経大なんてのに裏口入学させようとしよった( 一一) ( 一一) そういうのを「あ~んないいお父さんはないわよ。私だったら、あ~んないいお父さんがいたらものすごくうれしいわよ」と旧姓作野礼子が何度も何度も言いまくるのだった。あのバカ女、許せんな・・・とそれから何年か経って思うようになったが、うちの父親は「作野先生はさすがに北野高校の先生だけあるでえ~え。なかなか、あそこまでええ先生はないでえ~え」と言いまくっていたのだったが、それからたいして経たないうちに、無名校の教諭に転任になりよった。「作野先生は北野高校の先生という普通よりもエライ先生なんですでえ。普通の先生とは違いますねんでえ」とうちの父親が行って称賛していた「北野高校の先生という特別にえらい先生」から「無名校の普通の先生」に格下げになりよった。ざまあみろ! 父親とはどういうものか、というと、よその父親はどうかは別としてうちの父親は、
(1)幼稚園児の私が12月のクリスマスに幼稚園から私が「幼稚園からのクリスマスプレゼント」としてもらったものを1週間後の正月にとりあげてイトコにくれてやる存在であり、
(2)ヤマハのオルガン教室に通っている小学校1年の私が毎日毎日練習しているオルガンを「オルガンみたいなもん、要ら~ん」と言ってとりあげてよその子にくれてやる男であり、
(3)府立の北野高校から旧帝大系国立大学に行こうとしている私には「高校は義務教育ではないからには おまえは高校には行ってはいかん人間で、ましてやおまえは大学には行ってはいかんねんぞ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と言って、大阪経大に通らん森哲の息子を大阪経大みたいなもんに裏口入学させようとする男
・・それが「父親というもの」で、父親とは「そういうもの」だったのだ。よその父親はそうでない父親の方が多い印象だったが、うちの父親の場合は「父親とはそういうもの」だったのだ。それを北野高校の旧制作野礼子は「あ~んなもんのすごいいいお父さんはなかなかないわよ。私だったら、あんなお父さんがいたらものすごくうれしいわよ。あなたがそう思えないのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、何よりあなたが甘ったれているからよ。私は父親がなかったんだからねえ。私は両親が離婚したんだからねえ。わかってんのお!」と何度も何度も言われたのだったが、「両親が離婚した」らえらいのか? 「父親がいなかった」らえらいのか? そういうのは自慢するものなのか? ・・自慢するものとちがうんちゃう? と思ったが自慢しまくるのが「北野高校の先生という普通の先生ではない特別にえらい先生」という旧姓作野礼子先生様だったのだ。
うちの父親はどういう人間だったかというと、私が幼稚園児だった時、12月のクリスマスに「幼稚園からのクリスマスプレゼント」としてもらった物を1週間後の正月にとりあげてイトコにくれてやって「ええかっこしい」やったろ、とする男であり、私が小学校1年の時、ヤマハのオルガン教室に通っている私が毎日毎日練習して練習後は布でふきあげていたオルガンを「オルガンみたいなもん、要ら~ん」と言ってよその子にくれてやって「ええかっこしい」やる男であり、府立の北野高校から旧帝大系国立大学に行こうとしている私には「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないんだから、おまえは高校には行ってはいかんのに北野高校に行ったというのは、おまえが甘ったれておるからであって、ましてやおまえは大学には行ってはいかん人間なんじゃ」と言いながら、勝田のバカ息子がバカ大学2つも行くのは称賛し、女川のドバカ息子が私立金権関西医大に裏口入学するのは「思考が柔軟やから裏口入学なんじゃ」などとあほなこと言って称賛し、森哲のドバカ息子には大阪経大みたいなもん通らんやつを裏口入学させようと画策して「ええかっこしい」やったろと考える、そういう人間。「また、ええかっこしいやったろ思うてはるう」という男だったのだ。
(4)小学校1年の夏休みに、うちの父親の勤め先の人が小豆島に社員旅行に行くのに一緒に行ったが、帰り、小豆島から大阪市の弁天埠頭までの船の中で、小学校1年の私が持っていた小さい水筒を「ちょっと、それ貸してんかあ」と言って取り上げて、それを「配給です、配給です。お茶の配給です♪」と言ってチャラけて大人に飲ませてまわり、小学校1年生の子供が「のどかわいた。お茶ほしい」と言うと、「ないねん。お茶もうないねん」と言う。小学校1年の私が持っていたごく小さい水筒の御茶を大人がよってたかって全部飲んでしまって子供には一滴も飲ませなかった。それが「父親というもの」だ。
それを女川先生とか勝田先生とか作野先生とかの「先生」が「あ~んなもんのすごいいいお父さんはなかなかないわよ。あなたがそう思えないのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたの根性ねじくれ曲がっているからであって、あなたが甘ったれているからよ」と称賛しまくるくらい「もんのすごいいいお父さん」だったのだ。毎度毎度、そうやって、取り上げられてきたものだったが、父親とは「そういうもの」だった。よその父親はそうでない父親の方が多い印象だったが、我が家の父親は「そういうもの」だった。その上で、私が20歳になる年になると、「こいつにはよそとはちごうて、小さい頃から、いついかなる時も、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも、どんなもんでも、ええもんばっかし、いつでもいつでもこうてきてやってやってやって、やってあげてやってきたからっ!」と言い、「違う。絶対に違う! 絶対にそんなことない!」と私が言うと、「こいつ、こんなこと言いますわ。かなんなもう。かなんなもう。これは、ビョーキがこいつに言われていることや。そうに違いない。こいつにロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ もしくは電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪ 電気ショックやってこましたらんといかん。いらいらしてきたっ、こいつにロボトミーか電気ショックやってこましたらんと、わしのイライラが治らんのじゃ、いらいら、イライラ、いらいら、イライラ♪」と言う、それが「父親というもの」だったのだ。毎度毎度、とりあげられてよその子にくれたやってきた男が、そういう口をきく。それが「父親というもの」で、それを北野高校の旧制作野礼子さんが「あ~んなもんのすごい、いいお父さんはめったにないわよ。あなたがそう思えないのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたが甘ったれているからよ。私は父親がいなかったんだからねえ。私は両親が離婚したんだからねえ。わかってんのお! 私は両親が離婚したんだからねえ!」と「私は父親がいなかった」「私は両親が離婚した」という切り札を出して何度も言いまくられるのだった。・・旧姓作野礼子は女性の教諭でも男子生徒より女子生徒の方に人気がある教諭で、北野高校の女子生徒には「ちょっと性格いがんでる系女子48」みたいな人もいたのだが、女子生徒でもそういうタイプの女子生徒から好かれる教諭だったようだが、「私は両親が離婚したんだからねえ」「私は父親がいなかったんだからねえ」というのを最大の自慢にしている女は、たとえ高校の教諭になるにしても《「両親が離婚した」女子生徒専用の教諭》になるようにしてほしかった。そうでなければ迷惑だ。
「いらいらしてきた、イライラしてきた、いらいらイライラいらいらしてきた。こいつにロボトミーやったらんといかん、ロボトミー。こいつにロボトミーやらんと、わしのイライラが治らんのじゃ。いらいらイライラしとるんじゃ」という父親がいると、『旧約聖書』「創世記」で、アブラハムが息子イサクを燔祭として神に捧げようとしたように、燔祭として人格破壊される危険がある。もう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい・・

現代の医療被害 (1978年)

告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年)

旧約聖書 創世記 (岩波文庫) - 関根 正雄
私はうちの姉などから「男の子は何でもやらせてもらえてええなあ」と子供の頃から言われてきて、「そうかな」と子供の頃は思っていたのだったが、そうでもないと思うようになった。 我が家が大阪市東住吉区に住んでいた時、うちのお姉さんは「ピアニスト」と言われる人にピアノを習っていた。 それに対して、私もピアノを習いに行ったが、私が習いに行った人は「近所の子供にピアノを教えているおばさん」だった。この違いは大きいと後に思うようになった。「世界的ピアニスト」とまでいかなくても、何もルドルフ=ゼルキンとかカサドシュとか、そういう人でなくても、ともかく「プロのピアニスト」という人に習うのと「近所の子供にピアノを教えているおばさん」に習うのとでは習得が違うのだ。
最初、ヤマハの音楽教室に1年半行って、後半年という時に親にやめさせられたが、後半年なら最後まで行きたかったがやめさせられた。そして、行かされたのが高校の音楽の先生が土日だけ自宅でピアノを教えているという人だったが、けっこう熱心に通ったのだけれども、そこでは、「指を立ててひきなさい」と言われ、「なんか、ひきにくいなあ」と思いながら、言われたようにやってみようと悪戦苦闘したものだった・・が、最近ではDVDというものができて、「世界的ピアニスト」の演奏を動画つきで視聴できるようになったが、そういう「世界的ピアニスト」の演奏を「聴く」だけでなく「見る」と、「世界的ピアニスト」はその頃の私よりずっと指を寝かせてひいているのだった。あの人、ピアノの弾き方を誤解していたのではないか・・と最近になって思うようになった。 次に習いに行ったのは、その先生の妹さんが自宅の近所の子供にピアノを教えているという所だったが、「バイエル」をすでに終えていた私に「第二バイエル」みたいな教材をさせて、これを終えたら、次はもうちょっとレベルの高いものをさせてもらえるんだと思って頑張って練習してそれを終えると、その次にはまたもや「第三バイエル」みたいなものをやれと言われ、「こういう基礎的なものをきっちりとやっておくのが大事だから」と言われたのだったが、テニスで言うところの「壁打ち」、野球なら素振りみたいなものばっかりさせられて、そのうち、嫌になってきた・・が、何十年か経って思うようになったのだが、あの先生、「第二バイエル」「第三バイエル」しか教えられない人だったのではないか・・とわかった。だめだよ、「バイエル」「第二バイエル」「第三バイエル」「第四バイエル」・・しか教えられないような人についてピアノの練習しても。それでいて、うちの母親から言われたのだった。「女の子になんか、負けてはいけません」「先生の息子になんか負けてはいけません」と。 「女の子」というのは嫁入り道具のひとつとして「ピアノの練習」をしているのであって、私は「嫁入り道具」ではなくベートーベンか何かそういうものになるためにやっているのだから〔プロ野球の二軍が時々社会人野球のチームと対戦することがあるらしいが、もしもプロの二軍の方が負けると二軍の監督が「きれる」、「おまえらプロのくせしてアマチュアに負けてどうするんだ」・・というのと似たものか。あるいは「スポーツ専門校」と言われる高校の野球部なりラグビー部なりが進学校の野球部なりラグビー部に負けると練習試合であっても監督が怒りよる・・というのと似てるか〕「(嫁入り道具にピアノやってる)女の子になんか負けてはいけません」と言われたわけだった・・から、私がベートーベンかそういうものになろうとしたならうちの親は喜んでくれるのだろう・・と思ったら、そうではなかった。うちの父親から「そんなもん、せんでもええんじゃ、チャンコロろすけっ! イタコ!!!!」と言われるに至ったのだった。「先生の息子になんか負けてはいけません」とうちの母親から言われたのだったが、「先生の息子」が私より1歳年上だったように思ったが、「先生の息子」は「世界的音楽家」にはならなかったようだが、「中学校の音楽の先生」か「高校の音楽の先生」かなんかそういうものになったみたいだった・・が、私はどうかというと「そんなもんせんでもええんじゃチャンコロろすけっ! イタコ! 甘ったれるなあ!!! すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために、わしのために。捧げ尽くす、捧げ尽くす。すべてを犠牲にしてわしのために捧げ尽く~す! とってちってたああ~あ♪」となったのだった。 そんなことなら「先生の息子になんか負けてはいけません」なんて、言わないでくれたらよかったのに・・と思ったが、我が家の親は小学生の時には「女の子になんか、負けてはいけません」「先生の息子になんか負けてはいけません」と言ってベートーベンかモーツァルトか何かそういうものになれみたいなことを言って練習に励ませておいて、そして、「そんなもんせんでもええんじゃチャンコロろすけっ! 甘ったれるなあ~あ!」とやるのだった。それが「両親がいること」の意味である。ピアノの練習をした人には「世界的ピアニスト」まではならなかったとしても、突然、楽譜を渡されても平気でひくような人がいるのだが、私がそうなれなかったのは、それは小学校6年の時に「男の子は、もうピアノはやらなくてよろしい」と母親から言われてやめさせられたから、ということがあるが、それとともに、「まがりなりにもプロのピアニスト」に習った人と「近所の子供のにピアノを教えているバイエルしか教えられないおばさん」に習った人間との違いというものがあった、と思う。別に「近所の子供にピアノを教えているおばさん」が悪いわけではないが、その程度の人だったのだろうと思う。「ともかくもプロのピアニスト」に習うのとでは差が出るのは間違いない、と思う。「近所のやつから『ピアノなんか習いやがって、おまえは女か』とか言われて、変なこと言うやつやな」とか思いながら一生懸命、練習しても、「男の子やから、いいかげんな先生でもええやろと思ったんや」ということで、うちのお姉さんは「プロのピアニスト」に習わせてもらったが、私は「近所の子供にピアノを教えているバイエルしか教えられないおばさん」の所にせっせと通って「女の子になんか負けてはいけません」「先生の息子になんか負けてはいけません」と言われて、「そんなもん、せんでもええんじゃチャンコロろすけイタコ浪商!!! 甘ったれるなあ~あ!」と言われるに至ったのだった。そして、母のイトコの子供になると思うのだが、私からすればまたイトコになると思うのだが、私より少し年上の男と少し年下の女の兄弟の下の方の女の子はピアノでドイツに留学して、あげくのはてにドイツ人と結婚しよった・・て、はたして良かったのかどうかわからんが、私なら、そんなこと絶対にさせてもらえないことを「女の子」はさせてもらっていたのだった。「あんたは男やから何でもさせてもらえてええなあ」というのは、それは絶対に違うと思う。『世界の偉人伝 ベートーベン』なんて本を小学校の1年の時だったか2年の時だったか読まされて、こういう人が「偉人」なんだな、こういう人をうちの親は「偉人」だと考えているわけだな、と思い、私がベートーベンかそういうものになろうとしたなら喜んでくれるのだろう・・と思い込んだら、違った。「そんなもん、せんでもええんじゃ、チャンコロろすけ、イタコ! 甘ったれるなあ~あ、チャンコロ~お!」とうちの父親はおっしゃるのだった。「女の子」だったら「プロのピアニスト」についてピアノを学べたのに、「女の子」だったらドイツにピアノで留学させてもらえたのに。「男の子はいつでも得やなあ」と言われまくってきたが、違うと思う。ドイツにピアノで留学させてもらった「女の子」はええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ・・わしぁ日陰の月見草や~あ・・・と、ずっと思ってきた。「えええなあ」「うらやましいなあ」「ほんまにええなあ」と、思ってきた。
※ ルドルフ=ゼルキン⇒YouTube-Rudolf Serkin Beethoven Moonlight Sonata 3rd mvt https://www.youtube.com/watch?v=5AypYyZNIsE
カサドシュ⇒YouTube-モーツァルト ピアノ協奏曲第21番第2楽章(ロベール・カサドシュ )https://www.youtube.com/watch?v=5PjNex4dPrM
中原中也の「つみびとのうた」という詩に
「わが人生は下手な植木師らによりて
あまりにはやく 手を入れられた悲しさよ
由来、わが血の大方は
頭にのぼり煮え返り
たぎりあわだつ」
というものがありますが、父親というものは、息子の人生を踏みつぶす存在のようです。
慶應義塾高校卒の人間に中原中也の詩の話などしようものなら、「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」と言います。片方で開成高校卒の人間に中原中也の詩の話などしようものなら「そんなもの、何の価値があるんだ」と言います。開成高校卒の人間は6年間かけて、大学入試に出題されるものは価値がある、大学入試に出題だれないものは価値がない、と徹底的に叩き込まれてきていますので、中原中也の詩なんて大学の「現代国語」の問題に出ませんから、だから「何の価値があるんだ」と言うのですが、慶應義塾高校卒の人間は大学入試に何が出るとか出ないとか知りませんから、だから、ともかく自分が知らないもの、自分ができないものは「受験勉強だ。害があるんだ」と言うのです。そういう思考のことを、慶應心理学では「思考の柔軟さ」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「独立自尊の精神がある」とか言うのです。それが「心理学」というものだったのです。私は「心理学」というものを誤解していました。実際には下劣極まりないものである「心理学」を価値があると誤解していたのでした。
「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ。わかってんのお」とか言って自慢しまくりなさる方が北野高校の2年の時の担任だったのですが・・・、そんなもの、自慢するものとは違うと思うようになりました。そう言えば「作野先生は両親が離婚されただけあって、しっかりしてられるわあ~あ」「作野先生はお父さんがいなかっただけあって、えらいわあ~あ」と誰もが言ってほめる義務があると、あの女は思っていたようでしたが・・・、そんな義務なんか、ないと思うぞ( 一一) ( 一一)
そんなもの、自慢するものとは違うと思うぞ。
・・なにより、「両親が離婚していない」「両親が離婚できない」家庭というのが、どれだけ大変か、まったく理解できない無神経女症候群には困ったものでした。・・あの女に北野高校の2年の時に担任もたれたのは本当に災難やった・・・。とことん災難やった。

中也のうた (現代教養文庫 704) - 中原 中也, 中村 稔
慶應の内部進学の教授は「われわれは受験勉強はしていないが、おまえら(慶應義塾の)外部の者とは違って塾風というものを持っている」と何度もおっしゃるのですが、「受験勉強はしていない」のではなく「勉強していない」のと違うんかい・・と思いましたが、言うと怒りますから、逆らうとうるさいので、だんだんと言わなくなりました。逆らうとうるさい人たちですから。
彼ら、慶應内部進学と開成高校など私立6年制受験校出身者は死ぬまで中原中也の詩の価値なんか理解することなく人生を送ることでしょう。なおかつ、慶應の内部進学の人間は「ふん! そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」と言って「害がある」と決めつけ、開成高校など私立6年制受験校卒の人間、およびその下位互換の下位互換みたいな私立高校卒の人間は「そんなもの(大学受験に出ないのに)何の価値があるんだ」と言い、「何の価値があるんだ」と信じて一生送るようです。なおかつ、彼らはそれを自慢しています。

家族の政治学 (1979年) - R.D.レイン, 阪本 良男, 笠原 嘉

家族の死 - デーヴィッド クーパー, Cooper,David, 嘉寿, 塚本, 嘉, 笠原
展望室から北側、下を見下ろすと ↓

↑ 写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。
↑ 通天閣から北側に3本の道路が伸びているうちの正面の道沿いの部分です。 足元のビルの右の方の上の方に「釣鐘まんじゅう」と書かれ、屋上に釣鐘のオブジェがあるビルがありますが、「釣鐘まんじゅう」https://tsuriganeyahonpo.co.jp/products/detail.php?product_id=8 や「芭蕉」https://tsuriganeyahonpo.co.jp/products/detail.php?product_id=10 などの 総本家 釣鐘屋本舗 https://tsuriganeyahonpo.co.jp/ の店です。
なかなか、おいしい♪
屋上の釣鐘のオブジェは通天閣の展望室から見て、「あ、釣鐘のオブジェがある♪」と気づくように設けられているのかと思います。 東京の浅草の隅田川の対岸のアサヒビールのビルの屋上にある「う〇こみたいなやつ」より、こっちの方が上品でいいと思います。
隅田川の東側のアサヒビールの屋上にある「う〇こみたいなやつ」は、首都高速道路のそばでもあり、クルマを運転するドライバーが「あの う〇こみたいなやつ、あれ、何なんだろうなあ」と多くの人間が言うのですが、ビルの前に行くと説明書きがあって、アサヒビールの建物だけに屋上に「ビールの泡」をオブジェとして設けたそうです・・・が、説明書きを見ると「そうか、アサヒビールだけにビールの泡だったのか」とわかりますが、首都高速道路を走るドライバーはどこの会社のビルなのかわかりませんから、多くの人間が「う〇こみたいなやつ」と言っています(笑) 総本家 釣鐘屋本舗 の上の釣鐘のオブジェは、面白みもあり上品でいいと思います。
※ 「う〇こみたいなやつ」⇒「アサヒグループ本社ビル あの金色の建物はなに」https://harenohi.asahigroup-japan.co.jp/play/2023/04/12/n/
「釣鐘まんじゅう」を製造販売している店は、通天閣のすぐ北の 総本家 釣鐘屋本舗 ともう1軒、四天王寺の南西、谷町筋の東側に 総本家 釣鐘屋 https://tsuriganeya.jp/ があります。 どっちが本物でどっちがパチモンか・・というと、ウィキペディアー総本家釣鐘屋 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E6%9C%AC%E5%AE%B6%E9%87%A3%E9%90%98%E5%B1%8B によると、総本家釣鐘屋 の方が先だけれども、総本家釣鐘屋本舗 はパチモンではなく《 浪速区にある、類似店名の「釣鐘屋本舗」は総本家釣鐘屋から暖簾分けで発生した企業であり、現在はそれぞれ独立している。》そうで、どちらも決して「パチモン」ではないそうです。 それぞれの店に行って買った場合は、どちらの物かわかるのですが、最近、「いかり」でも釣鐘饅頭や芭蕉を売っていて、なつかしい「釣鐘饅頭」じゃないか、「芭蕉」じゃないかと思って買って食べてなつかしい味を喜んでいたのですが、その店まで行って買ったのでなく「いかり」とかで買った場合は、「え? どっちのだっけ」と思い、まあ、おいしかったらいいか・・とか思ったり。
うちの母は天王寺区の生まれで、釣鐘饅頭がけっこう好きだったのですが、おそらく、母もどっちの店のものかわからずに食べていたのではないか、と思います。

名代 芭蕉 1本
↑「芭蕉」。 なかなか、おいしい♪

↑ これが、あの有名な「ビリケンさん」。
ウィキペディアービリケン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%B3
《 ビリケン(Billiken)は、尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている幸運の神の像。 1908年10月6日にアメリカ合衆国のフローレンス・プレッツがデザイン特許を取得した。
日本では大阪の通天閣 5階(展望台)にあるビリケン像が有名で、「ビリケンさん」の愛称で親しまれ、特に足を掻いてあげるとご利益があるとされている。 》
《 元々はアメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティの美術教師・イラストレーターであったフローレンス・プレッツ(Florence Pretz、1885年 - 1969年)によって、親友の詩人サラ・ハミルトン・バーチャルが『ザ・カナダ・ウェスト』に連載していたおとぎ話であるビリケンシリーズのため、1907年ごろにデザインされたものである。》
と出ています。
5階の上、「R5F」として、金網で囲まれた屋外の空間から周囲を見ることができる部分があります。↓
東京もんは「通天閣、ちっさ。みじめ」と言ってバカにするのが大好きですが、東京タワーにはこういう場所はなかったと思います。



網の所と、↓ のような所とあったのですが、どっちがどこにあったか、帰って何日か経ってよくわからなくなってしまいました。

↑ 左の背の高いのがアベノハルカスで、手前の道路は阪神高速道路松原線 かと思います。
地下1階まで行かされてから地上に登って出るようになっているようで、地下1階に「グリコ、つぶしたる」「森永、ゆるしたる」のグリコと森永の店、それにチキンラーメンの日清食品の店が出ています。

チキンラーメン 5食パック 日清食品 インスタント 袋麺 (85g×5食)×6個
通天閣を出て北に進む道を行くと、右側に ↓

↑ 釣鐘屋本舗 の店(浪速区恵美須町の方)があります。
かつて、四天王寺にあった鐘をモチーフにした「釣鐘饅頭」でしたが、戦中の金属供出で四天王寺のその鐘はなくなってしまいましたが、釣鐘饅頭は今も健在。
東京もん〔多くは巨人ファン〕 には、なにかと大阪と阪神タイガースをけなしたがるおっさんが多く、通天閣・・というと、「通天閣、ちっさ。みじめ!」とか言って喜ぶのですが、(株)一条工務店 にいた時も、1990年代、福島県いわき市の営業所に勤務していた際、同じ営業所にいた、東京出身(東京都大田区の雪が谷大塚のあたりの生まれらしく、その頃は川崎市中原区に家族がいての単身赴任)の「木南さん」(仮名)(男。1990年代当時、40代)が「通天閣、ちっさ♪」とか、「大阪の人間は心が狭くてけちくさいから通天閣も低いんだ」とか、特に相手が大阪出身の人間だと思うと、「これでもかあ」とそういうことを言いまくるのでしたが、東京タワーとか名古屋タワーと比べると通天閣は低く、東京スカイツリーと比べるともっと小さいのは事実ですが、東京タワー・名古屋タワーや東京スカイツリーは電波塔として作られたものなので、ある程度以上の高さにするしかないのに対して、通天閣は電波塔ではなく、大阪のテレビは生駒山から電波は来ていた、生駒山という自然の電波塔があったことから東京タワー・名古屋タワーのようなものを作る必要はなく、通天閣はあくまでも娯楽専用のものとして作られたものなので、東京タワー・名古屋タワーのような高さにする必要はなかったのです。 ↑ の写真を見ると、むしろ、この高さの方が親しみがもてるようにも思えます。
通天閣 公式ガイド https://tsutenkaku.co.jp/pdf/Tsutenkaku-guide.pdf には「なんかいい 通天閣」と書いてあるのですが、「なんかいい」と「なんかい(南海)」をかけたもののようで、どうも、南海電鉄と通天閣は関係あるみたいですね。
ウィキペディアー通天閣 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%A4%A9%E9%96%A3 にも出ていますが、通天閣の設計者は内藤多仲 という人で、施工は大阪市阿倍野区に本店を置く奥村組だったらしい。
《 「通天閣」とは「天に通じる高い建物」という意味で、命名したのは明治期の儒学者、藤沢南岳》、《 現在の通天閣は2代目で、1912年に初代通天閣が誕生した後、1956年に現行の塔が建造されている 》 《 2007年5月15日に登録有形文化財となった》らしい。
(株)一条工務店にいた、1990年代は福島県いわき市の営業所にいた「東京もん」の「木南さん」(仮名)(男。1990年代当時、40代前半。東京都大田区の雪が谷大塚のあたりの生まれだそうで、川崎市中原区に家族がいての単身赴任)は「通天閣、ぶさいく! 悪趣味!」とか言いたがるのですが・・、なおかつ、それで東京タワーはいいらしいのですが、
設計者の内藤 多仲(ないとう たちゅう、1886年〈明治19年〉6月12日 - 1970年〈昭和45年〉8月25日)は通天閣だけでなく、
1954年 名古屋テレビ塔
1956年 (2代目)通天閣
1958年 東京タワー
の設計をおこなっている人で、東京もん は通天閣を一生懸命ばかにしますが、設計者は東京タワーと同じ内藤多仲で、通天閣の方が2年前の竣工です。 なぜか、通天閣と東京タワーは登録有形文化財で、名古屋電波塔(名古屋タワー)は重要文化財になっているらしい。

「木南さん」(仮名)のような「東京もんのおっさん」は、なんとかして大阪と阪神タイガースと通天閣をけなそうとするのですが、「通天閣、ちっさ。みじめ♪」とか言って、それでけなしたつもりらしいのですが、東京タワーや東京スカイツリーは電波塔なので、電波塔としての高さが必要なのですが、通天閣は電波塔ではなく娯楽目的専用のものですから、電波塔ほど高くする必要はない、ということがあります・・が、それ以上に、そういうことを言う人間の精神の貧困さがそこに表されるようなもので、たとえば、五重塔と三重塔だと、三重塔より五重塔の方が高い分だけ値打ちがあるみたいに私も子供の頃は思っていたのでしたが、実際に三重塔を見てみると、実はそうでもないのです。
これまで、実際に前まで行って見たものとしては、とりあえず、思い浮かぶものとして、
五重塔は、
中山法華経寺(千葉県市川市)
上野東照宮・・なのか上野動物園なのか(東京都台東区)
池上本門寺(東京都大田区)^
東寺(京都市)
仁和寺(京都市)
興福寺(奈良市)
法隆寺(奈良県 斑鳩町)
四天王寺(大阪市天王寺区)
・・と見てきましたが、
奈良市の薬師寺の東塔と西塔とは六重の塔みたいですが三重塔だそうだけれども、あれは六重塔みたいな三重塔だから別として、
正真正銘の三重塔としては、岐阜県高山市の飛騨国分寺の三重塔を見学したのですが、少し離れた所から飛騨国分寺の三重塔を見て、三重塔は決して五重塔に劣ってないな・・と思ったのです。むしろ、五重塔ほど高くない三重塔はかえってその方がいいようなところもある、と思ったのでした。
「◇◇タワー」というものは、どうしても「高さを競う」みたいになってしまうところがあるのですが、通天閣は別に高くなくても、この場には「ちょうどいい」ように思うのです。特にJR「天王寺」駅から見て、通天閣て「ちょうどいい」高さだな、と思ったのです。そして、今回、登ってみて、通天閣の展望台くらいの高さからの見晴らしというのは、東京スカイツリーとか東京タワーとかの展望室からの見晴らしと違って、通天閣の展望室くらいの高さから見るものもまた、これもいいのではないか、考えようによってはこちらの方が近隣を見るにはいいのではないか・・と思ったりもしたのです。
なんでも、高ければいいという発想・思考は「いなかもんの発想」です。
そして、東京もんの「木南さん」(仮名)は「通天閣、ぶさいく。悪趣味」とか言うのですが、それでいて東京タワーはいいらしいのですが、おそらく、知らないか忘れているのだと思うのですが、通天閣(2代目。現在の通天閣)の設計者と東京タワーの設計者はどちらも内藤多仲で、同じ人の設計で、通天閣の2年後に東京タワーはできているのです。 なんか、一生懸命、大阪と大阪のものをけなそうとする「東京もんのおっさん」というのは、論理的でないのです。
※ 飛騨国分寺(岐阜県高山市)については⇒[第459回]飛騨国分寺から鍛冶橋、高山別院照蓮寺をへて東山白山神社へ-東山遊歩道(高山市)前半を歩く(1)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html?1768778056
今では近くにアベノハルカスができて、アベノハルカスにも展望室 https://www.abenoharukas-300.jp/observatory/index.html があるようですが、私は通天閣の方がいいなあ・・・。
1970年代前半、中学校の「地理」の授業の時に、「地理」の教諭が「京都とか神戸は観光地があるけれども、大阪は大阪城くらいで、ほかは何もないやろ」と言うので、「通天閣がある」と私が言ったところ、「こらこら、坂田三吉か」と言われたのだったが、何のことかようわからんかった。 坂田三吉て誰なのか、その時はわからなかったが、それ以上に、なんで、通天閣ならいかんのかわからなかった。今では通天閣は国登録有形文化財にも指定されているもので、なぜ、通天閣ならいかんのか、今もわからない。
※ ウィキペディアー坂田三吉 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E7%94%B0%E4%B8%89%E5%90%89
※ YouTube-村田英雄 王将より坂田三吉物語(5分25秒) https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%e5%9d%82%e7%94%b0%e4%b8%89%e5%90%89&mid=695A57EE7BFCD32F8727695A57EE7BFCD32F8727&FORM=VIRE
そんなことよりも、たしかに京都と奈良は戦争中に爆撃をうけなかったことから寺社などの古くからの建物が残っているのに対して、大阪は戦中に爆撃を受けて喪失した建物が多いが、だからといって、大阪に文化財がないわけではなく、又、関西の人間にとって大阪は「勤めに行く所」であるのに対して、京都・奈良は「観光に行く所」みたいなところはあるとしても、それでも「大阪には観光地は何もないやろ」というのは、そう思っている人が中にいてもしかたがないけれども、まがりなりにも「地理」の先生にそういうことは言ってもらいたくないなあ・・と思うようになった。
住吉大社はどうなんだ。四天王寺はどうなんだ。大仙陵古墳(私が子供の頃は「仁徳天皇陵」と言っていたが、今さら「違いましたあ」なんて言われてもなあ)は。河内長野の観心寺はどうなんだ。島本町の水無瀬神宮はどうなんだ。 今では難波の宮跡なんてのも出現した。
・・ともかく、「京都や奈良と違って大阪は何もないやろ」なんて、そんな「大阪嫌いの東京もんのおっさん」が言うみたいな文句をまがりなりにも大阪府の中学校の「地理」の先生に言ってもらいたくないなあ・・と思うようになったのだ。あの文句は「地理」を教えている教諭としては少々情けないのではないか・・と思う。その先生と仲が悪かったわけでもないが、その発言については「あんた、いったい何の先生やねん」と言いたくなる発言だった。
長い目で見るならば、日立金属(株)はハリコの虎である。
(2026.1.18.)
☆ 通天閣(大阪市浪速区)
1.松屋町筋から見た通天閣。北から・南から見た通天閣。「日立」のネーム入り。「うちは日立ですからねえ」の会社は「うちは一部上場ですから」の会社とともに「三流以下企業」か。 「滅びよ、日立金属(株)」と思っても個人が購入する商品でない者は「買わない」もできない・・と思ったら「日立」でなくなり「上場企業」でもなくなった( 一一) 駅弁大卒の人事部長は思いあがるな。個人・一般人が買う商品でないからやりたい放題・・と思っている会社は「長い目で見るならばハリコの虎」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/519739444.html
2.展望室から見えるアベノハルカス・天王寺公園・市立美術館。展望室から見える釣鐘屋本舗。ビリケンさん。「グリコ、つぶしたる」のグリコと森永がある地下。「大阪は何もない」などと「大阪嫌いの東京もんのおっさん」が言うような文句は言ってもらいたくない。通天閣の設計者 内藤多仲 は東京タワーの設計者でもある。〔今回〕

家族関係を考える (講談社現代新書) - 河合隼雄

小林秀雄と中原中也 (講談社文芸文庫) - 秋山駿
通天閣(大阪市浪速区恵美須町)見学の2回目です。
入場券を買ってエレベーターで上の展望室の階に上がります。
4階(84m)・5階(87.5m)に展望室があり、5階の上に屋外展望室があるのですが、
↑ この写真は5階の展望室からだったと思います。
↑ 同じく5階の展望室から見たもので、南西の方角を見たもので、向こうに見える背の高い建物がアベノハルカスです。
ここで、一度は考えてみてほしいと思うのは、向こうの方に山が見えますでしょ。東京では関東平野がけっこう広いので、少しくらい高い建物を建てても向こうの山と高さを比較することはあまりないのですが、大阪平野はそれほど広くないので向こうの山が見えるのです。 最初に東京圏で住んだ時、物足りないというのか、物寂しいのか感じたのは、高村光太郎の「智恵子抄」で「智恵子は東京には空がないと言う」という文句のように、もうひとつ「東京には山がない」と感じたことでした。大阪にいると北に行っても東に行っても南に行っても少し行くと山があったのが、東京はなかなか山がない。ないわけではないのですが、山にたどりつくまでの距離が大阪より長い。
そんな感じで大阪平野は関東平野と比べると平野が狭いので、高い建物を建てるとその向こう側に山が見えるわけです。ここで一度は考えてみてほしいのですが、向こう側に見える山より高い建物ってどうなのか、というものです。 せっかく、考えてアベノハルカスを作ったのにと思う人もあるでしょうけれども、向こう側の山より高い建物ってどうなのだろう、と一度は考えてみてほしいように思います。
愛知産業大学の建築学科のスクーリングの際に、守屋先生が「高さを競うなんてのは後進国の発想だ」と言われたことがありましたが、私もそう思いました。 「建築家」に属する人、大学の建築学科の先生というのは高さを競うことを肯定しないと出世に差し支えるのか、何かそういうことでもあるのか、と思っていたのですが、 なんでも、日本の国立大学で原子力について本格的に研究しているのは、東大と京大と東京工大(現 東京科学大工学部)の3つだけで、東大と東京工大(東京科学大工学部)は推進派ばっかりで、京大だけが推進派と反対派がいて、推進派は出世するが反対派は出世が遅く、小出裕章さんなんかも定年の時点でまだ「助教」(助手)だった、京大はそれでも『熊取六人衆』とか言って、出世が遅れようが関係あるかい! という反対派がいる大学で、「京都大学は日本一です」と小出裕章さんも話しておられたが、建築学科でも「高さを競うような建物」「『あほと煙は高い所に登る』ような建物」を奨励すると出世できて、そういうものを批判すると出世できないとかあるのか・・とか思っていたら、こういうことを言える人もいるんだ・・、と思ったのでした。
※ ウィキペディアー熊取六人衆 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E5%8F%96%E5%85%AD%E4%BA%BA%E8%A1%86

「新聞うずみ火」連続講演 熊取六人組 原発事故を斬る - 今中 哲二, 海老澤 徹, 川野 眞治, 小出 裕章, 小林 圭二, 瀬尾 健
高い建物が絶対に悪いということではないのですが、「より高く」ではなく「よりその場にふさわしい高さで」という思考が必要ではないか、と思うのです。「あほと煙は高い所に登る」と昔から言いますが、実際問題として、いわゆる””タワマン””てのは、そんなところがありませんか。 インターネット上で見ていると、タワマンでは高層階の方がえらい・・とか思っている人がいるらしく、そういう発想からして本来的ではないのではないか。 一般に家相では地面から離れる大地のパワーを受けられなくなることで高層階は凶相と言います。時には、元々、地相が良くない場所に建てたものなので、地面から離れた方がいいようなタワマンもあるようですが、休日に山に行くのとは事情は同じではないと思いますし、「あほと煙は高い所に登る」というように、最近、キャバクラかそういう店で男に貢がせて大金を得て、それで住んだ所が””タワマン””で、タワマンの前で刺殺されたとかいう、そりぁ、そういうことやってりぁ、そりぁそうなるわな・・みたいな女がニュースに出ていましたでしょ。「家相が悪い」マンションに住むからそうなった・・のか、そうではなく、すでに死相が出ているような女だからそういう所を買って住んだのか。 「ふ~みん」がやってる””検証「・・の人間低学歴」説””とかいうやつで考えると、「タワマンに住みたがる人間、『なんらかの事情でカネつかんだ低学歴』多い説」はありそうにも思うのです。低学歴というよりも、高学歴か低学歴化にかかわらず教養水準が低い人が多い印象があります。「あほと煙は高い所に登る」というのはありそうに思いますよ。「高い所」も、昔から「家を建てるには高燥の地を選ぶべし」と言われてきて、「少し高くて乾燥した所」が住宅には良いと言われてきたのですが、「家を建てるには高燥の地を選ぶべし」の「高燥の地」とタワマンの高いのは意味が違うように思います。
好みの問題もあるかもしれないが、あんまり””タワマン””ていいとは思わんな。「あほと煙は高い所の登る」と上の方に登って、なんかそれでえらいみたいに思っている人って、どうなのだろう。アベノハルカスは高層階に登ったことはないのだが、どうなのか、一度上がってみたいとは思うが、生駒山の向こう側まで見えたなら「気持ち悪い」と思いませんか。これは上がって見て再度考えたいとは思いますが、「『向こう側の山より高いビル』てどうなのか」、一度、考えてみてもらいたいように思います。 世界最高の高さのビルはドバイのブルージュハリファらしいが、ドバイというと、一度、行ってブルージュハリファを見てみたいと思いながら行けずにいますが、地図で見る限り、ドバイは片方は海で片方は砂漠という場所ではないでしょうか。そういう場所ならともかく、奈良県は「大和は国のまほろば、たたなづく青垣、やまごもれる大和しうるわし」というように周囲を山で囲まれた盆地で、大阪府から兵庫県の南東部は、北西部に六甲山地・北部は老坂産地・東部は生駒山地・金剛山地で南部は和泉山脈で、西部だけが大阪湾という地理的条件の場所で、どこからも向こうの山が見える・・という所であまりにも高い建物ってどうなのか。高層ビルが絶対に悪いというわけではないのですが、「高さを競うなんてのは後進国の発想」・「あほと煙は高い所に登る」・「地面から離れるほど地相は悪くなる」といったことは一度は考えてみた方がいいように思います。
手前の樹木が植わっている所は天王寺公園と天王寺動物園で、横長の建物は市立美術館と思われます。
※ 通天閣HP https://tsutenkaku.co.jp/
通天閣HP 「展望室」https://tsutenkaku.co.jp/tour/index.html
アベノハルカス https://www.abenoharukas-300.jp/index.html
天王寺公園 https://parksgreenery.city.osaka.lg.jp/article/parks-tennnoji/
天王寺動物園 https://www.tennojizoo.jp/
大阪市立美術館 https://www.osaka-art-museum.jp/
子供の頃、阪和線の沿線に住んでいたので、天王寺駅を降りてすぐの天王寺動物園にはよく行きました。天王寺公園の中にある市立美術館にも母に連れられて行ったことがあり、日展の展示を見学したことがありました。 母の家系は学校の先生が多い家系で「勉強する人」が好きという家系でした。「慶應タイプ」の人とか、開成高校とか私立6年制受験校の人と話をすると、美術作品なんて「そんなもの、何の価値があるんだ」と言う人が多いのですが、そういう人は「年収を得る仕事につくために大学に行ってるんじゃないか」と考えていて、そういう思考を「思考の柔軟さ」とか肯定的に評価するのですが、私などは母の方の影響を強く受けて育った子供でしたので、「学問は、学問そのものとして価値がある」と考えていて、『旧約聖書』「箴言」には「智慧を売ってはならない。むしろ、智慧と教訓と悟りを買え」という文句があり、又、『新約聖書』の「福音書」には、盲人がイエスに「先生、お助けください」と言い、イエスが「どうしてほしいのか」と尋ねると、「見えるようになりたい」と言う、という場面がありましたが、私はその「見えるようになりたい」とうのが学問の目的だと思っていました。
しかし、そう思わない人もあったようで、学問の目的は何か・・というと、慶應タイプの人とか開成高校など私立6年制受験校の人とかは「有名企業に勤めて高年収になって、ブタ女と結婚したい」と考えるところですが、私などは子供の頃から「学問は買うものであって、売るものではない」と認識してきましたので、学問を進めることで、それでブタ人間になるというのはおかしい、と思うようになりましたが、こういったことを、うかつに慶應タイプの人に言ってしまうと、「おまえ、いったい何をおかしなこと言ってるんだ」と言われるのでした。ブタ人間にはブタ人間の喜びというものがあるようで、『新約聖書』の「福音書」には「聖なるものをイヌにやるな。真珠をブタに投げてやるな。彼らはそれらを足で踏みつけにし、向き直ってあなたたちに噛みついてくるであろうから」というイエスの言葉がありますが、ブタ人間・イヌ人間に「聖なるもの」を渡したなら、おそらく、足で踏みつけにして、向き直って噛みついてくることになりますから、ブタ人間・イヌ人間には注意しなければいけません。かつ、ブタ人間・イヌ人間はブタ・イヌが「正常」「健常」「思考の柔軟さ」「自我が確立されている」「独立自尊」とか思っていますから、彼らとはできるだけかかわらない方が良さそうです。
こういう「学問は学問それ自体として価値がある」「学問は買うものであって売るものではない」「智慧を売ってはならない。むしろ、智慧と教訓と悟りを買え」「学問とは『見えるようになりたい』というもの」などと言うことを慶應大学の人間にうかつに言うと、「そういう甘ったれた考えだと勤め先なくなるぞ」とか、「おまえ、結婚相手ないぞ」とか言われます。慶應という学校は「学問は塾風の婢(はしため)」とでもいった大学で、そういう「学問は塾風の婢(はしため)」とでもいった姿勢の人間のことを「企業はそういう人間を喜ぶ」とか言う人だらけの大学で、自分自身で考え自分自身の考えを述べると「せんえつ~う!」(僭越)と言って怒られる塾風「僭越」主義の大学、なにかと「僭越」と言って言論弾圧される大学で、「塾風栄えて学問滅ぶ」みたいな姿勢のことを「独立自尊」と言う大学ですから、そういう所ではこういったことは口にしない方がいいみたいでした。 「揺り籠から墓場まで慶應」小此木啓吾 独善主義症候群とその””後継者””(「引き継ぐなよ、そんなもん」)・シンパ・テカから「モラトリアム人間病」にかかっているとか「診断」される危険があり、「診断」されるとロボトミーとか電気ショックとか、あるいは「入院療法」(=逮捕監禁)・「薬物療法」(=薬漬け・毒盛り)・「作業療法」(=強制労働・無賃労働・労働搾取)や緊縛療法(気に食わない「患者」をベッドに縛りつける)とか「カウンセリング」(=洗脳・言いくるめ・マインドコントロール)といった「治療」される危険がありますから、もう怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい・・・
私は小学校の1年から4年の途中まで、毎日曜日、絵の先生の所に通って指導を受け、おかげさまで相当上達しました。だから、小学校の時の図画工作・中学校の美術の成績は良くて、高校受験の際の内申書では音楽と美術は10段階相対評価で「10」で「主要科目」より音楽と美術の方が得意なくらいでした。小学校の4年の途中で転校したのですが、前半の小学校で1回、後半の小学校で1回、学校から大阪府の大会に1名、絵を提出するということがあって、別の先生から計2回、選んでもらったことがあります。選んでもらって大阪府の大会に出してもらえたようでしたが、その後、どうなったかは何も言われなかったので、そこまでだったのかもしれませんが、将来、画家というものになれるかどうかはともかく、たとえ、画家といったものになれなかったとしても、絵は続けたいと思っていたのでした。
しかし、北野高校の合格発表の時、北野高校は行きたいと思っていた高校でしたので合格したのはうれしかったのですが、合格発表の日に、高校では芸術科目は音楽・美術・書道の3つのうちから1科目選択だと言われ、合格発表の日のうちに選んで届けでること、と言われて困りました。もともと、音楽・美術・書道の3つとも苦手だった人は、できるだけ負担が軽い科目を選ぼうとしたようですが、私の場合は、書道はそれほどやりたいと思っていなかったのですが、音楽と美術はどちらも好きでしたので、どちらか片方だけと言われると困ったのです。
どうしようか・・と思っていた時、うちの父親が「あんたは音楽や」と言って決めてしまったのでした。なんで、私は音楽だと決まっているのか・・と思いましたし、父親にそういうものを決められてしまうというのが嫌だったのですが、うちの父親はそういう人間で、「あんたは音楽や」と言って決めてしまったのでした。なんとも悲しかった。うちの父親はなんで、そんなものを勝手に決めてしまうのかとその時は思ったのでしたが、うちの父親はそういう人間だったと後からわかりました。
さらに、その後、うちの父親は「おまえ、宴席で黒田節うたえ、黒田節。おまえ、歌、上手いから黒田節うたえ」と言うのでした。発声練習して・腹筋運動して・コールユーブンゲンやって・ピアノの練習やって、「歌え、チャンコロ。黒田節~い! とってちってたあ~あ!」と言うのでした。父親というのは「そういうもの」だったのかもしれないが、どうも、よその父親はうちの父親みたいではないみたいでしたが、うちの父親はそういう父親でした。「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に孝に孝に。戸締り用心、火の用心、マッチ一本、火事の元~お、とってちってたあ~あ!」と毎日のように言われてきました。「戸締り用心、火の用心」のおかげで、努力の果実はすべて踏みつけられました。小学校の低学年の時に『フランダースの犬』なんて本を読み、登場人物が絵描きになってお爺さんを助けようとする話を読み、自分も日展に出展されていたような絵を描きたい、と思ったことがありましたが、「戸締り用心、火の用心、マッチ一本、火事の元、とってちってたあ~あ!」はすべてを踏みつぶしました。

フランダースの犬 (新潮文庫) - ウィーダ, 花子, 村岡
※ YouTube-フランダースの犬 1975 よあけのみち 大杉久美子 (OP → slides) https://www.youtube.com/watch?v=hBWjT8y0hW0
北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子(女。1970年代後半当時、20代。北野高校卒⇒神戸大文学部卒。担当科目「国語」)は「あなたのお父さんみたいな、あ~んなもんのすごいすんばらしいお父さんがいたら、私だったらものすごいうれしいわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたに甘えがあるからよ。私は両親が離婚したんだからねえ。私は父親がいなかったんだからねえ」とおっしゃるのでしたが、そんなにいいなら、あのおっさん、あんたにあげるよ。引き取ってくれよ、と何度も思いました・・が、決して引き取ってくれませんでした。北野高校は行きたいと思って受けた学校だったので合格発表の時はうれしかったのですが、卒業して何年か経って考えてみると、どう考えてもいい学校ではありませんでした。特に2年の時にあの「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ」というのを最大の自慢にしているあの女に担任もたれたというのは災難でした。 美術館には何か所か行きましたが、通天閣の真下あたりに見える大阪市立美術館が私にとっての原点のような美術館でした。 うちの母親は「親というものは息子が大学に行く時に、行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行って、やりたい勉強をやって、つきたい仕事につけるようにと思えばこそ、無理にでも勉強させようとするものなんや」と私が小学生や中学生の頃、言っていて、私はそれを本気にしてしまって努力したのでしたが、実際に大学に行く時になると、うちの父親は「そんなもん、せんでもええんじゃチャンコロろすけっ! とってちってたあ~あじゃあ~あ」と言い、すべてを踏みつぶされました。
※ YouTube-【ナブッコ】行け、我が思いよ、黄金の翼に乗って【Va’ pensiero】https://www.youtube.com/watch?v=pE3HgV408hI
そして、うちの父親は北野高校の旧制作野礼子から「あなたのお父さんみたいな、あ~んなもんのすごいすんばらしいお父さんがいたら、私だったらものすごいうれしいわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたに甘えがあるからよ。私は両親が離婚したんだからねえ。私は父親がいなかったんだからねえ」と言ってもらって、「その通りやあ。ええ先生やでえ。さすがは北野高校の先生やあ。さすがやなあ、さすが女でも神戸大でてるだけのことあるでえ。作野先生は『北野高校の先生』という『普通の先生』よりもエライ先生なんですでえ。わかってますのんくわあ~あ!」と言うのだった。そう言ってもらうために旧姓作野礼子は「あなたのお父さんみたいな、あ~んなもんのすごいすんばらしいお父さんがいたら、私だったらものすごいうれしいわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたに甘えがあるからよ。私は両親が離婚したんだからねえ。私は父親がいなかったんだからねえ」とまたもや言いまくるのだった。卑怯な女だ。旧姓作野礼子の母親は娘の育て方を間違えていたのではないか。「旧姓作野礼子の母親」という女も、なんとも迷惑な卑怯な女だ。
・・そして、それからたいして経たないうちに、旧姓作野礼子は無名校の教諭に転任になり、《「北野高校の先生」という「普通の先生」よりもエライ特別の先生》から「無名校の普通の先生」に格下げ・格落ちになりよった。ざまあみろ!!!
私は子供の頃から、よその子は買ってもらえる物でも買ってもらえないということが多かった。何も買ってもらえなかったわけではなかったが、うちの母親は節約するものは節約して、本当に出さないといけない時に出せるようにと考えていたようで、何も買ってもらえないということではなかったが、幼稚園や小学校の同級生、近所の子と比べるとよその子は買ってもらっているものを買ってもらえないということが多かった。そのかわり、大学に進学する時には行きたいと思う大学の行きたいと思う学部に行かせてもらってやりたい勉強をさせてもらってつきたい仕事につかせてもらえるのだろう・・と思いこんでいたが、違った。高校3年になると「朕思うに我が皇祖こ~そ~はあ、わしに孝に、わしに孝に、わしに孝に。わしに感謝かんしゃ感謝かんしゃ。戸締り用心、火の用心、マッチ一本火事の元。とってちってたあ~あ! すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために捧げ尽くす、捧げ尽くす。わしのために、わしのために犠牲になる、犠牲になる。すべてをすべてをわしのために犠牲にする、犠牲にする!」になった。騙された。
私が20歳になる年、うちの父親は「こいつには、子供の頃から、どんなもんでも、何でも何でも、欲しいというものは、何でも何でもええもんばっかし、何でも何でもこうてきてやあってやって、やあってやって、やあってやってきたからっ!」と言い出したので、びっくりした。「そんなことない! 絶対にそんなことない!」と言ったのだが、そうすると、「うわあ。こいつ、こんなこと言いよる。こいつ、ビョーキやな。これはビョーキがこいつに言わせておるんやな。ロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ 電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪」と言いまくるのだった。
よく、そういうことを言うと思う。 だいたい、私が幼稚園の年長組の年には、12月に私が幼稚園のクリスマスに「幼稚園からのクリスマスプレゼント」としてもらった「15ゲーム」(4×4 の16マスに1から15の数字が書かれた正方形15個をひとつひとつ動かして順番を変えるゲーム)を1週間後の正月に取り上げて、イトコにくれてやったのは誰だ?!? 普通、いくらなんでも、そんなことするかあ? と思うが、うちの父親はそういうことをする父親だったのだ。「そんなもん、こいつには、こんなもん、いっくらでもこうてやってやってやったっとんのやあ」と事実と正反対のことを言って、叔父夫婦とイトコに「ええかっこしい」してやろうとしたわけだ・・が、イトコはいい気はしなかったと思う。うちの父親は私が1週間前に幼稚園でもらったばかりの物を取り上げてイトコにくれてやることで、「わしは、こいつには何でも何でもこうてやってやってやってやったっとんのや。おまえは買えんのやろ」という態度を弟(叔父)にとって、それが「ええかっこしい」になると思ったようだったが、おそらく、イトコとしては自分の親が侮辱されたと思って言い気持ちはしなかったのではないか、と思う・が、幼稚園児がクリスマスに幼稚園でもらったばかりの物を1週間後の正月にとりあげて、よその子にくれてやる親がどこにあるか?・・というと、我が家にあったのだった。それがうちの父親だった。そのうちの父親が私が20歳になる年になると、「こいつには、よそとはちごうて、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも何でも、ええもんばっかし、こうてきてやってやってやってあげてやってあげてやってきたからっ!」と事実と正反対のことを言い出し、何を言うかと驚き、「違う! 絶対に違う!」とこれはいくらなんでも認めてはならんと思って私が言うと、「こいつ、こんなこと言いよる。これはビョーキがこいつに言わせておるんや。こいつにロボトミーやったるべきや、ロボトミー♪ もしくは電気ショックやったらんといかん、電気ショック、電気ショック♪ 電気ショックやってこいつに二度とこういう口をきけんようにしてやらんといかん」と言い出したのだった。いくらなんでも、そんな親あるかあ~あ・・と思うが、あるのだ。どこにあるかというと、我が家にあったのだった

ハナヤマ(HANAYAMA) パズル・エクササイズ かつのう 15ゲーム 対象年齢6才~

スタンガン
( ↑ 「電気ショック療法」=別名「スタンガン」 )
私は小学校の1年から2年にかけて、ヤマハの「オルガンを中心とする音楽教室」に通い、毎日欠かさず家でオルガンの練習をしていたのですが、私が小学校1年のある日、突然、何人かの男がクルマでやってきて「オルガンもらいにきました」と言って、毎日、私が練習していたオルガンを取り上げて持っていこうとするのでした。「なんで、オルガン持っていくのお」「それ、ぼくが毎日、練習しるオルガンやでえ」「なんで、ぼくが練習してるオルガンを持っていくのお」と訴えたのでしたが、男たちは子供が言う文句など無視して毎日私が練習して、練習後は毎日布でふきあげていたオルガンを持ち去ったのでした。男たちが私が毎日練習していたオルガンを持ち去った後、本当に情けない気持ちで、うちの母親に「あしたから、どうやってオルガンの練習したらいいのお?」と言いました。ルビンシュタインはピアノがない所では板の上で指を動かして練習した、とソビエト連邦の映画『シベリア物語』の中で登場人物が言う場面がありましたが、小学校1年の子供にその「板の上で指を動かして練習する」というルビンシュタインがやったという方法でオルガンの練習をしろと言うのでしょうか。
※ ルビンシュタイン⇒YouTube-Rubinstein (ルビンシュタイン)plays Chopin: Polonaise op. 53 (live, correct pitch, HQ)https://www.youtube.com/watch?v=_jJuuthbFvc
うちの母親は「ピアノがあります。ピアノの方がオルガンより上やから、ピアノでオルガンの練習すればよろしい」と言うのでした・・が、ピアノとオルガンは似ているけれども、鍵盤をたたいた感触も違えば音色も違うのです。「アコーディオンでピアノの練習しなさい」とか「ピアノでアコーディオンの練習しなさい」とか「オルガンでアコーディオンの練習しなさい」とか「ピアニカでオルガンの練習しなさい」とか言いますか? うちの母親もよく聞いていなかったみたいで、うちの父親がうちの母親にもよく話さずに、「オルガンほしい」と言う人に「それなら、うちに要らんオルガンありまっさかいに、クルマで取りにきてくれたら、オルガンあげまっさ」とか、どうも、たまたま入った喫茶店の隣りの席に座っていた人か何かそういう人に「オルガンあげます」とか言ってきたみたいで、そう言われて「ええ人やなあ、聖人みたいな人やなあ」と思って取りにきよったみたいでした( 一一) ( 一一) 父親というものは「そういうもの」なのです。よくまあ、自分の息子が毎日毎日、練習して練習後は布でふきあげてきれいにしているオルガンを「オルガンみたいなもん、要ら~ん」と言ってよその人間にくれてやるもんだな・・と思いますが、父親があるということは、そういうことをされるということなのです。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは「私は父親がいなかったんだからねえ。わかってんのお」「私は両親が離婚したんだからねえ。わかってんのお」と何度も何度もおっしゃるのでしたが、「父親がいなかった」ということは、こういうことをされることはなかった、ということのはずなのです。違いますか? 違わないと思いますよ。 どうも、うちの父親はこの類のことをよくやるみたいで、母は最初、「オルガンもらいに来ました」と言って来た人は会社の人かと思ったけれども、母が知らない人で、会社の人ではなかった可能性が大きく、うちの父親がたまたま入った喫茶店の隣りの席にいた人が「オルガンあったら子供に習わせるのになあ」とか話していたのを横で聞いて、「それなら、うちに要らんオルガンありまっさかいに、クルマで取りにきてもろたらオルガンあげまっさあ」とか言いよった・・か、どうもそんな感じだったみたいです。それで、ヤマハのオルガン教室に通って、毎日毎日、私が練習していたオルガンを「そんなもん、要ら~ん」とよその人間にくれてやりよった・・みたいでした。父親というのは「そういうもの」なのです。但し、これはうちの父親のことであって、よその父親もそうかというと、どうも、よその父親はそうではない印象でしたが、うちの父親は「そういうもの」だったのです。私が毎日毎日練習していたオルガンをとりあげて持ち帰った人は、自宅に持ち帰って息子か娘に練習させようとしたのでしょう。中卒高卒優先主義の(株)一条工務店https://www.ichijo.co.jp/ の栃木県南部営業所「副所長」になっていた木下(きした)(男。2000年代初め当時、40代前半)は私と同年齢の男でしたが、私に「インテリアコーディネーターにしてもキッチンスペシャリストにしても宅地建物取引主任者にしても、ぼくらはどんなにしても通らないのにあんたは簡単に通る。あんたは何の努力もしていないのに簡単に通る。ズルイ!」などと私に言ったのでしたが、私はずるくないはずだ。私は裏口で通ったのではない。ガチンコで通ったのだ。それも、(株)一条工務店という会社は新卒入社のバカでも入れる私大の建築学科卒の人間には入社したその日からお殿様扱いにして、据え膳でお勉強させてあげて建築士の資格を取らそうとするが、私はそうではなく、片方で過酷な勤務で営業活動をしてある程度以上の契約実績を残した上で、涙ぐましい努力と工夫をしてやっと通ったのだ。特にインテリアコーディネーターは営業本部長の天野隆夫が取ってくれと言うから、元々はインテリアコーディネーターの資格を取得するつもりではなかったものを会社の上役が取ってくれと言うものは取らなきゃならんだろうと思って大変な努力をして合格・登録したものだ。会社の上役が取ってくれというから大変な努力と工夫をしてやっと通ったものを「ずるい」などと言われる筋合いはないし、そういう口をきく木下の方こそ、「ぼくらはどんなにしても通らない」とか言って、実際は何もやってないくせしてそんなこと言いやがってからに、そちらの方こそよっぽど「ずるい!」。おそらく、私が毎日毎日、練習していたオルガンを奪い取った男の息子か娘も、せっかくオルガンを与えてもらっても、結局、練習せずにそのままになったのではないか。・・そんなところだろう。 うちの母の弟(私からすると叔父)はラグビー選手で「アタマがラグビー( 一一) ( 一一)」のおっさん、頭がラグビーでできているおっさんだったが、うちの母がその叔父の家に行くと、その息子、私より2歳年下のイトコの机の上に私が母に買ってもらったのと同じ『自由自在 ・・』(受験研究社)という本が置いてあったが、私が持っている『自由自在 ・・』はすべてのページに読んだ跡があるのに対して、イトコの机の上に載っていた『自由自在 ・・』はまったく開いた形跡がなく、まっしろ、まっさらのままで机の上に載っていた。それを見て「ああ、この子は勉強できんわ」と思った・・と言っていたが、なんで、毎日毎日、オルガンの練習した者ができるようになったら「ずるい」んだ? なんで、『自由自在 ・・l』のすべてのページを読んだ痕跡がある者が同じ物を買ってもらっても1ページも開いた痕跡がない者よりもお勉強ができたら「ずるい」んだ? 毎日毎日、練習しているオルガンを取り上げてよその人間にくれてやろうとする父親・・て、そんな父親あるんかい・・と思う人もあるかもしれないが、あるのだ。どこにあるかというと、我が家にあったのだ。我が家の場合は父親とは「そういうもの」だったのだ。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「あんたのお父さんみたいな、あ~んなもんのすごいいいお父さんはなかなかないわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたが甘ったれているからよ」と言いまくるのだったが、そんなにいいなら、あんたにあのおっさん、あげるから引き取ってよ・・と思ったものだったが、旧姓作野礼子はそういうことを言いまくるばかりで、決して引き取ってはくれなかった。うちの父親は旧制作野礼子からそう言ってもらって「ええ先生やでえ~え♪ さすがは北野高校の先生だけのことあるなあ~あ♪」とか言うておった( 一一) ( 一一) 旧姓作野礼子はそんなことを言うことで自分の評価を上げていたのだった。卑怯な女である。
うちの父親の勤め先の部下の森哲という男の息子は大阪経大通らん息子・・・て、どうやったら大阪経大みたいなもん、落ちるねん? 大阪経大て試験会場まで行って受験番号と氏名かいたら通る大学と違うんかい・・と思ったが、通らないそうで、私になら「おまえは産まれながらにして浪商やねんぞ。おまえは浪商として生まれてきた人間やねんぞ。おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんが、たとえ北野高校に行っても、それでもおまえは浪商やねんぞ。それに対して、わしは天高(天王寺高校)で慶應やぞお、わしはあ~あ! わかっとんのか浪商! 浪商の分際で天高で慶應のこのわしと一緒やなんぞと思うてはならんぞ、この浪商めがチャンコロろすけっ!」と毎日毎日言っていた。私は浪商高校なんて行ったことも受けたこともなく、たしか阪急の京都線の沿線のどこかにあったと思ったが最近は大阪府南部に引っ越したらしいが、最近、YouTube に「ヤクザのエリートの学校」とか言われる学校で「『東の国士館、西の浪商』と言われる東西の””ワルの名門””」と説明されていた高校だったが、阪急京都線の沿線でもどこにあるのかよく知らなかったが、うちの父親は私が子供の頃から「わしは天高やぞお、わしはあ」と何度も何度も言っていたので、本人がそう言うならそうなのかと思っていたが、そのわりには、なぜか明星高校から同窓会の案内状が何度も来るので、なんでかなあ・・と思っていたのだが、実際にうちの父親が卒業した高校は明星高校だったのだが「ほんまは天高」らしく、うちの父親が行った大学は同志社だったはずなのだが「ほんまは慶應」らしかったのだ。フリードリヒ=ニーチェ『ツァラトゥストラはこう語った』には「精神的にけだかくあれ」という意味で「精神の貴族」という言葉があるが、うちの父親は「精神の天高(天王寺高校)」「精神の慶應」らしかった( 一一) ( 一一) それに対して私は「おまえは北野高校に行ったと思うておるかもしれんが、たとえ北野高校に行っても、それでもおまえは浪商じゃ、この浪商めが! 浪商の分際で天高で慶應のわしと一緒の人間やと思うなよ、この浪商チャンコロ! おまえはチャンコロの民族で浪商の階級、わしはドイツ人の民族で慶應の階級なんじゃ。民族の違いを忘れるな! 階級の違いを忘れるな! この浪商チャンコロめがあ!!!」と毎日毎日、私の眼を指で突き刺すようにして言っていた。大王製紙(株)の2代目は北野高校卒で東大に行こうとしたが合格できず慶應大に行ったが、息子は東大に行かせたいと思い、息子の3代目は筑波大付属駒場高校から東大に行った・・がラスベガスのカジノで「しょーもないことしい」やりよった・・らしいが、父親というものは、息子には自分が行った大学より評価が高い所に行かせたい、特に自分がどこそこに行きたいと思って行けなかった時には大王製紙の2代目みたいに、息子にはそこ以上の所に行かせたいと思うものではないのか・・と私は思っていたのだったが、「父親というもの」はそうとは決まっておらず、うちの父親のような父親の場合はそうではなくて、息子が自分より上の大学に行くということに精神的に耐えられないようだった。父親とは「そういうもの」らしい。よその父親はそうではない父親もあるようだが、うちの父親は「そういうもの」なのだ。それを北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子は「あ~んなもんのすごいいいお父さんというのは、なかなかないわよ。私だったらあなたのお父さんみたいなもんのすごいいいお父さんがいたら、ものすごくうれしいわよ。あなたがそう思わないのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたが根性ねじくれまがっているからであって、あなたが甘ったれているからよ。私は父親がいなかったんだからねえ。わかってんのお! 私は両親が離婚したんだからねえ、わかってんのお!!!」と何度もおっしゃるのだった。「わかっとんのか浪商! おまえは北野高校に行ってもそれでも浪商やねんぞ、浪商。義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育とは違うねんぞ。わかっとんのか。浪商は高校行くな浪商! おまえは浪商で浪商は高校行ってはいかんねんぞ浪商! 浪商の分際で北野高校に行くな浪商!」と何度も何度も言われたものだ。父親とは「そういうもの」だ。 うちの父親が信じていた新興宗教 女川教(めがわきょう)の教祖 女川(男。1980年頃当時50代前半。当時。大阪府豊中市在住)の同僚の医者屋の勝田(女。1980年頃当時、50くらい?)が私に「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないのだから、あんたは高校には行ってはいかんはずや。そやのにからに、あんたが北野高校に行ったというのは、それはあんたが甘ったれているからであって、本来、あんたは高校には行ってはいかん人間のはずや! ましてや、あんたは大学には絶対に行ってはいかんのや」と言い、そう言われてうちの父親は大喜び♪ 「そうや、その通りや♪ おまえは高校には行ってはいかん人間なんじゃ。それをおまえが北野高校に行ったというのは、おまえが甘ったれておるからなんや。ましてやおまえは大学には行ってはいかん人間なんじゃ。勝田先生はええ~えこと言いはるっ♪」と言って大喜びするのだった。それならば、勝田のバカ息子はバカ大学に2つも行ったのはいいのか、女川のドバカ息子は私立金権関西医大に「患者」を薬漬け・検察漬け・毒盛りして得たカネで裏口入学させた、ドバカ息子が裏口入学したのはいいのか? ・・というと、いいらしかった。勝田は「うちの息子なんか、高校や大学は義務教育と違うのに大学を2つも行ってるんやから、一生懸命勉強せんとあかんし、勉強させてやらんといかんいうことやなあ」という結論に持って行き、女川のドバカ息子はというと「うちの息子なんか裏口入学なもんやから、一生懸命勉強せんとあかんし、一生懸命勉強させてやらんといかんということじゃ」と、最初の前提、「義務教育は小学校と中学校であって高校・大学は義務教育とは違う」という所は同じでも、結論は勝田や女川の息子の場合は「一生懸命、勉強させてやらんといかんということや」という所に持っていき、私には「そやから、あんたは高校には行ってはいかんのに北野高校に行ったというのはあんたが甘ったれておるから北野高校に行ったということや。ましてや、あんたは大学には絶対に行ってはいかん人間や」というところに結論を持って行くのだった。勝手なこと言うやつらだ・・と思うが、たいていの親はよその親からそういうことを言われると怒るのではないかと思うのだが、うちの父親はよその人間からそういうことを言われると喜ぶのだ。「ええ~えこと言いはるっ♪ おまえは高校には行ってはいかん人間やのにからに北野高校に行ったんじゃ。のぼせあがるなチャンコロろすけ浪商~お!!! ましてや、おまえは大学には行ってはいかんのじゃ。」と言うのだった。そして「勝田先生の息子さんは(バカ)大学を2つも行ってられるらしいなあ。えらいなあ、えらいなあ、ものごっついえらいなあ♪」などと言うのだった。父親とは「そういうもの」なのだ。よその父親は「そういうもの」ではないように思えたが、うちの父親は「そういうもの」だった。北野高校の2年の時の担任だった旧姓作野礼子さんは「あなたのお父さんほどいいお父さんはな~かなかないわよ。ものすごくうらやましいわよ。私だったら、あなたのお父さんみたいなものすごいいいお父さんがいたら、ものすごくうれしいわよ。あなたがそう思えないというのは、それはあなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたの根性ねじくれまがっているからであって、何よりあなたが甘ったれているからよ。私は父親がなかったんだからねえ! わかってんのお。私は両親が離婚したんだからねえ。わかってんのお!」とおっしゃるのだった。勝田のバカ息子がバカ大学2つも行くのはいいらしく、女川のドバカ息子が私立金権関西医大に裏口入学するのもいいらしく、それに対して、私が府立の北野高校から旧帝大系国立大学に行くのは「勝田先生がおっしゃるように、おまえは高校には行ってはいかん人間であって、ましてやおまえは大学には行ってはいかんねんぞ。甘ったれるなあ~あ!」となるのだった。それでいて、うちの父親の部下の森哲という男のバカ息子は大阪経大もまともに通らん息子で、それを裏口入学させようとして、大阪経大の教授やっていたうちの母の弟(叔父)に頼みよったらしいのだが、叔父は「一千万もらってもお断りします」と断ったらしかった・・が、私には「おまえは高校には行ってはいかん人間やのにからに、そやのにからにお前が北野高校に行ったというのは、それはお前が甘ったれておるからやねんぞ。おまえは甘ったれておるから北野高校に行ってんぞ。ましてやおまえは大学には行ってはいかんねんぞ。勝田先生はほんまにええこと言いはるわあ♪」と言っていたくせして、森哲のバカ息子は大阪経大なんてのに裏口入学させようとしよった( 一一) ( 一一) 父親というのは「そういうもの」らしかった。「あなたのお父さんほどいいお父さんはなかなかないわよ。それがわからないというのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたが甘ったれているからよ」と北野高校の旧姓作野礼子に何度も何度も言われたが、それを聞いてうちの父親は「作野先生はほんまにええ先生やでえ。さすがは北野高校の先生だけあるでえ。普通、なかなか、あそこまでええ先生はないでえ~え」と言って喜んでいたのだった。私が府立の北野高校から旧帝大系国立大学に行くのは「おまえは大学には行かんでええ人間なんじゃ、このチャンコロろすけイタコ浪商めが、このチャンコロ!」と何度も何度も行っていた男が、森哲の息子は大阪経大なんてのに裏口入学させようとしよった( 一一) ( 一一) そういうのを「あ~んないいお父さんはないわよ。私だったら、あ~んないいお父さんがいたらものすごくうれしいわよ」と旧姓作野礼子が何度も何度も言いまくるのだった。あのバカ女、許せんな・・・とそれから何年か経って思うようになったが、うちの父親は「作野先生はさすがに北野高校の先生だけあるでえ~え。なかなか、あそこまでええ先生はないでえ~え」と言いまくっていたのだったが、それからたいして経たないうちに、無名校の教諭に転任になりよった。「作野先生は北野高校の先生という普通よりもエライ先生なんですでえ。普通の先生とは違いますねんでえ」とうちの父親が行って称賛していた「北野高校の先生という特別にえらい先生」から「無名校の普通の先生」に格下げになりよった。ざまあみろ! 父親とはどういうものか、というと、よその父親はどうかは別としてうちの父親は、
(1)幼稚園児の私が12月のクリスマスに幼稚園から私が「幼稚園からのクリスマスプレゼント」としてもらったものを1週間後の正月にとりあげてイトコにくれてやる存在であり、
(2)ヤマハのオルガン教室に通っている小学校1年の私が毎日毎日練習しているオルガンを「オルガンみたいなもん、要ら~ん」と言ってとりあげてよその子にくれてやる男であり、
(3)府立の北野高校から旧帝大系国立大学に行こうとしている私には「高校は義務教育ではないからには おまえは高校には行ってはいかん人間で、ましてやおまえは大学には行ってはいかんねんぞ。甘ったれとってはいかんぞ、甘ったれとっては」と言って、大阪経大に通らん森哲の息子を大阪経大みたいなもんに裏口入学させようとする男
・・それが「父親というもの」で、父親とは「そういうもの」だったのだ。よその父親はそうでない父親の方が多い印象だったが、うちの父親の場合は「父親とはそういうもの」だったのだ。それを北野高校の旧制作野礼子は「あ~んなもんのすごいいいお父さんはなかなかないわよ。私だったら、あんなお父さんがいたらものすごくうれしいわよ。あなたがそう思えないのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、何よりあなたが甘ったれているからよ。私は父親がなかったんだからねえ。私は両親が離婚したんだからねえ。わかってんのお!」と何度も何度も言われたのだったが、「両親が離婚した」らえらいのか? 「父親がいなかった」らえらいのか? そういうのは自慢するものなのか? ・・自慢するものとちがうんちゃう? と思ったが自慢しまくるのが「北野高校の先生という普通の先生ではない特別にえらい先生」という旧姓作野礼子先生様だったのだ。
うちの父親はどういう人間だったかというと、私が幼稚園児だった時、12月のクリスマスに「幼稚園からのクリスマスプレゼント」としてもらった物を1週間後の正月にとりあげてイトコにくれてやって「ええかっこしい」やったろ、とする男であり、私が小学校1年の時、ヤマハのオルガン教室に通っている私が毎日毎日練習して練習後は布でふきあげていたオルガンを「オルガンみたいなもん、要ら~ん」と言ってよその子にくれてやって「ええかっこしい」やる男であり、府立の北野高校から旧帝大系国立大学に行こうとしている私には「義務教育は小学校と中学校であって高校は義務教育ではないんだから、おまえは高校には行ってはいかんのに北野高校に行ったというのは、おまえが甘ったれておるからであって、ましてやおまえは大学には行ってはいかん人間なんじゃ」と言いながら、勝田のバカ息子がバカ大学2つも行くのは称賛し、女川のドバカ息子が私立金権関西医大に裏口入学するのは「思考が柔軟やから裏口入学なんじゃ」などとあほなこと言って称賛し、森哲のドバカ息子には大阪経大みたいなもん通らんやつを裏口入学させようと画策して「ええかっこしい」やったろと考える、そういう人間。「また、ええかっこしいやったろ思うてはるう」という男だったのだ。
(4)小学校1年の夏休みに、うちの父親の勤め先の人が小豆島に社員旅行に行くのに一緒に行ったが、帰り、小豆島から大阪市の弁天埠頭までの船の中で、小学校1年の私が持っていた小さい水筒を「ちょっと、それ貸してんかあ」と言って取り上げて、それを「配給です、配給です。お茶の配給です♪」と言ってチャラけて大人に飲ませてまわり、小学校1年生の子供が「のどかわいた。お茶ほしい」と言うと、「ないねん。お茶もうないねん」と言う。小学校1年の私が持っていたごく小さい水筒の御茶を大人がよってたかって全部飲んでしまって子供には一滴も飲ませなかった。それが「父親というもの」だ。
それを女川先生とか勝田先生とか作野先生とかの「先生」が「あ~んなもんのすごいいいお父さんはなかなかないわよ。あなたがそう思えないのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたの根性ねじくれ曲がっているからであって、あなたが甘ったれているからよ」と称賛しまくるくらい「もんのすごいいいお父さん」だったのだ。毎度毎度、そうやって、取り上げられてきたものだったが、父親とは「そういうもの」だった。よその父親はそうでない父親の方が多い印象だったが、我が家の父親は「そういうもの」だった。その上で、私が20歳になる年になると、「こいつにはよそとはちごうて、小さい頃から、いついかなる時も、欲しいというものは、どんなもんでも、何でも何でも、どんなもんでも、ええもんばっかし、いつでもいつでもこうてきてやってやってやって、やってあげてやってきたからっ!」と言い、「違う。絶対に違う! 絶対にそんなことない!」と私が言うと、「こいつ、こんなこと言いますわ。かなんなもう。かなんなもう。これは、ビョーキがこいつに言われていることや。そうに違いない。こいつにロボトミーやったらんといかん、ロボトミー♪ もしくは電気ショックやったらんといかん、電気ショック♪ 電気ショックやってこましたらんといかん。いらいらしてきたっ、こいつにロボトミーか電気ショックやってこましたらんと、わしのイライラが治らんのじゃ、いらいら、イライラ、いらいら、イライラ♪」と言う、それが「父親というもの」だったのだ。毎度毎度、とりあげられてよその子にくれたやってきた男が、そういう口をきく。それが「父親というもの」で、それを北野高校の旧制作野礼子さんが「あ~んなもんのすごい、いいお父さんはめったにないわよ。あなたがそう思えないのは、あなたが思いあがっているからであって、あなたがつけあがっているからであって、あなたに素直さがないからであって、あなたが甘ったれているからよ。私は父親がいなかったんだからねえ。私は両親が離婚したんだからねえ。わかってんのお! 私は両親が離婚したんだからねえ!」と「私は父親がいなかった」「私は両親が離婚した」という切り札を出して何度も言いまくられるのだった。・・旧姓作野礼子は女性の教諭でも男子生徒より女子生徒の方に人気がある教諭で、北野高校の女子生徒には「ちょっと性格いがんでる系女子48」みたいな人もいたのだが、女子生徒でもそういうタイプの女子生徒から好かれる教諭だったようだが、「私は両親が離婚したんだからねえ」「私は父親がいなかったんだからねえ」というのを最大の自慢にしている女は、たとえ高校の教諭になるにしても《「両親が離婚した」女子生徒専用の教諭》になるようにしてほしかった。そうでなければ迷惑だ。
「いらいらしてきた、イライラしてきた、いらいらイライラいらいらしてきた。こいつにロボトミーやったらんといかん、ロボトミー。こいつにロボトミーやらんと、わしのイライラが治らんのじゃ。いらいらイライラしとるんじゃ」という父親がいると、『旧約聖書』「創世記」で、アブラハムが息子イサクを燔祭として神に捧げようとしたように、燔祭として人格破壊される危険がある。もう、怖いこわい怖いこわい怖いこわい怖いこわい・・

現代の医療被害 (1978年)

告発する!狂人は誰か―顛狂院の内と外から (1977年)

旧約聖書 創世記 (岩波文庫) - 関根 正雄
私はうちの姉などから「男の子は何でもやらせてもらえてええなあ」と子供の頃から言われてきて、「そうかな」と子供の頃は思っていたのだったが、そうでもないと思うようになった。 我が家が大阪市東住吉区に住んでいた時、うちのお姉さんは「ピアニスト」と言われる人にピアノを習っていた。 それに対して、私もピアノを習いに行ったが、私が習いに行った人は「近所の子供にピアノを教えているおばさん」だった。この違いは大きいと後に思うようになった。「世界的ピアニスト」とまでいかなくても、何もルドルフ=ゼルキンとかカサドシュとか、そういう人でなくても、ともかく「プロのピアニスト」という人に習うのと「近所の子供にピアノを教えているおばさん」に習うのとでは習得が違うのだ。
最初、ヤマハの音楽教室に1年半行って、後半年という時に親にやめさせられたが、後半年なら最後まで行きたかったがやめさせられた。そして、行かされたのが高校の音楽の先生が土日だけ自宅でピアノを教えているという人だったが、けっこう熱心に通ったのだけれども、そこでは、「指を立ててひきなさい」と言われ、「なんか、ひきにくいなあ」と思いながら、言われたようにやってみようと悪戦苦闘したものだった・・が、最近ではDVDというものができて、「世界的ピアニスト」の演奏を動画つきで視聴できるようになったが、そういう「世界的ピアニスト」の演奏を「聴く」だけでなく「見る」と、「世界的ピアニスト」はその頃の私よりずっと指を寝かせてひいているのだった。あの人、ピアノの弾き方を誤解していたのではないか・・と最近になって思うようになった。 次に習いに行ったのは、その先生の妹さんが自宅の近所の子供にピアノを教えているという所だったが、「バイエル」をすでに終えていた私に「第二バイエル」みたいな教材をさせて、これを終えたら、次はもうちょっとレベルの高いものをさせてもらえるんだと思って頑張って練習してそれを終えると、その次にはまたもや「第三バイエル」みたいなものをやれと言われ、「こういう基礎的なものをきっちりとやっておくのが大事だから」と言われたのだったが、テニスで言うところの「壁打ち」、野球なら素振りみたいなものばっかりさせられて、そのうち、嫌になってきた・・が、何十年か経って思うようになったのだが、あの先生、「第二バイエル」「第三バイエル」しか教えられない人だったのではないか・・とわかった。だめだよ、「バイエル」「第二バイエル」「第三バイエル」「第四バイエル」・・しか教えられないような人についてピアノの練習しても。それでいて、うちの母親から言われたのだった。「女の子になんか、負けてはいけません」「先生の息子になんか負けてはいけません」と。 「女の子」というのは嫁入り道具のひとつとして「ピアノの練習」をしているのであって、私は「嫁入り道具」ではなくベートーベンか何かそういうものになるためにやっているのだから〔プロ野球の二軍が時々社会人野球のチームと対戦することがあるらしいが、もしもプロの二軍の方が負けると二軍の監督が「きれる」、「おまえらプロのくせしてアマチュアに負けてどうするんだ」・・というのと似たものか。あるいは「スポーツ専門校」と言われる高校の野球部なりラグビー部なりが進学校の野球部なりラグビー部に負けると練習試合であっても監督が怒りよる・・というのと似てるか〕「(嫁入り道具にピアノやってる)女の子になんか負けてはいけません」と言われたわけだった・・から、私がベートーベンかそういうものになろうとしたならうちの親は喜んでくれるのだろう・・と思ったら、そうではなかった。うちの父親から「そんなもん、せんでもええんじゃ、チャンコロろすけっ! イタコ!!!!」と言われるに至ったのだった。「先生の息子になんか負けてはいけません」とうちの母親から言われたのだったが、「先生の息子」が私より1歳年上だったように思ったが、「先生の息子」は「世界的音楽家」にはならなかったようだが、「中学校の音楽の先生」か「高校の音楽の先生」かなんかそういうものになったみたいだった・・が、私はどうかというと「そんなもんせんでもええんじゃチャンコロろすけっ! イタコ! 甘ったれるなあ!!! すべてをすべてをわしのために、すべてをすべてをわしのために、わしのために。捧げ尽くす、捧げ尽くす。すべてを犠牲にしてわしのために捧げ尽く~す! とってちってたああ~あ♪」となったのだった。 そんなことなら「先生の息子になんか負けてはいけません」なんて、言わないでくれたらよかったのに・・と思ったが、我が家の親は小学生の時には「女の子になんか、負けてはいけません」「先生の息子になんか負けてはいけません」と言ってベートーベンかモーツァルトか何かそういうものになれみたいなことを言って練習に励ませておいて、そして、「そんなもんせんでもええんじゃチャンコロろすけっ! 甘ったれるなあ~あ!」とやるのだった。それが「両親がいること」の意味である。ピアノの練習をした人には「世界的ピアニスト」まではならなかったとしても、突然、楽譜を渡されても平気でひくような人がいるのだが、私がそうなれなかったのは、それは小学校6年の時に「男の子は、もうピアノはやらなくてよろしい」と母親から言われてやめさせられたから、ということがあるが、それとともに、「まがりなりにもプロのピアニスト」に習った人と「近所の子供のにピアノを教えているバイエルしか教えられないおばさん」に習った人間との違いというものがあった、と思う。別に「近所の子供にピアノを教えているおばさん」が悪いわけではないが、その程度の人だったのだろうと思う。「ともかくもプロのピアニスト」に習うのとでは差が出るのは間違いない、と思う。「近所のやつから『ピアノなんか習いやがって、おまえは女か』とか言われて、変なこと言うやつやな」とか思いながら一生懸命、練習しても、「男の子やから、いいかげんな先生でもええやろと思ったんや」ということで、うちのお姉さんは「プロのピアニスト」に習わせてもらったが、私は「近所の子供にピアノを教えているバイエルしか教えられないおばさん」の所にせっせと通って「女の子になんか負けてはいけません」「先生の息子になんか負けてはいけません」と言われて、「そんなもん、せんでもええんじゃチャンコロろすけイタコ浪商!!! 甘ったれるなあ~あ!」と言われるに至ったのだった。そして、母のイトコの子供になると思うのだが、私からすればまたイトコになると思うのだが、私より少し年上の男と少し年下の女の兄弟の下の方の女の子はピアノでドイツに留学して、あげくのはてにドイツ人と結婚しよった・・て、はたして良かったのかどうかわからんが、私なら、そんなこと絶対にさせてもらえないことを「女の子」はさせてもらっていたのだった。「あんたは男やから何でもさせてもらえてええなあ」というのは、それは絶対に違うと思う。『世界の偉人伝 ベートーベン』なんて本を小学校の1年の時だったか2年の時だったか読まされて、こういう人が「偉人」なんだな、こういう人をうちの親は「偉人」だと考えているわけだな、と思い、私がベートーベンかそういうものになろうとしたなら喜んでくれるのだろう・・と思い込んだら、違った。「そんなもん、せんでもええんじゃ、チャンコロろすけ、イタコ! 甘ったれるなあ~あ、チャンコロ~お!」とうちの父親はおっしゃるのだった。「女の子」だったら「プロのピアニスト」についてピアノを学べたのに、「女の子」だったらドイツにピアノで留学させてもらえたのに。「男の子はいつでも得やなあ」と言われまくってきたが、違うと思う。ドイツにピアノで留学させてもらった「女の子」はええなあ、うらやましいなあ、ほんまにええなあ・・わしぁ日陰の月見草や~あ・・・と、ずっと思ってきた。「えええなあ」「うらやましいなあ」「ほんまにええなあ」と、思ってきた。
※ ルドルフ=ゼルキン⇒YouTube-Rudolf Serkin Beethoven Moonlight Sonata 3rd mvt https://www.youtube.com/watch?v=5AypYyZNIsE
カサドシュ⇒YouTube-モーツァルト ピアノ協奏曲第21番第2楽章(ロベール・カサドシュ )https://www.youtube.com/watch?v=5PjNex4dPrM
中原中也の「つみびとのうた」という詩に
「わが人生は下手な植木師らによりて
あまりにはやく 手を入れられた悲しさよ
由来、わが血の大方は
頭にのぼり煮え返り
たぎりあわだつ」
というものがありますが、父親というものは、息子の人生を踏みつぶす存在のようです。
慶應義塾高校卒の人間に中原中也の詩の話などしようものなら、「そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」と言います。片方で開成高校卒の人間に中原中也の詩の話などしようものなら「そんなもの、何の価値があるんだ」と言います。開成高校卒の人間は6年間かけて、大学入試に出題されるものは価値がある、大学入試に出題だれないものは価値がない、と徹底的に叩き込まれてきていますので、中原中也の詩なんて大学の「現代国語」の問題に出ませんから、だから「何の価値があるんだ」と言うのですが、慶應義塾高校卒の人間は大学入試に何が出るとか出ないとか知りませんから、だから、ともかく自分が知らないもの、自分ができないものは「受験勉強だ。害があるんだ」と言うのです。そういう思考のことを、慶應心理学では「思考の柔軟さ」とか「受験勉強の悪影響を受けていない」とか「自我が確立されている」とか「アイデンティティーを持っている」とか「独立自尊の精神がある」とか言うのです。それが「心理学」というものだったのです。私は「心理学」というものを誤解していました。実際には下劣極まりないものである「心理学」を価値があると誤解していたのでした。
「私は父親がいなかったんだからねえ」「私は両親が離婚したんだからねえ。わかってんのお」とか言って自慢しまくりなさる方が北野高校の2年の時の担任だったのですが・・・、そんなもの、自慢するものとは違うと思うようになりました。そう言えば「作野先生は両親が離婚されただけあって、しっかりしてられるわあ~あ」「作野先生はお父さんがいなかっただけあって、えらいわあ~あ」と誰もが言ってほめる義務があると、あの女は思っていたようでしたが・・・、そんな義務なんか、ないと思うぞ( 一一) ( 一一)
そんなもの、自慢するものとは違うと思うぞ。
・・なにより、「両親が離婚していない」「両親が離婚できない」家庭というのが、どれだけ大変か、まったく理解できない無神経女症候群には困ったものでした。・・あの女に北野高校の2年の時に担任もたれたのは本当に災難やった・・・。とことん災難やった。

中也のうた (現代教養文庫 704) - 中原 中也, 中村 稔
慶應の内部進学の教授は「われわれは受験勉強はしていないが、おまえら(慶應義塾の)外部の者とは違って塾風というものを持っている」と何度もおっしゃるのですが、「受験勉強はしていない」のではなく「勉強していない」のと違うんかい・・と思いましたが、言うと怒りますから、逆らうとうるさいので、だんだんと言わなくなりました。逆らうとうるさい人たちですから。
彼ら、慶應内部進学と開成高校など私立6年制受験校出身者は死ぬまで中原中也の詩の価値なんか理解することなく人生を送ることでしょう。なおかつ、慶應の内部進学の人間は「ふん! そんなものは受験勉強だ。害があるんだ」と言って「害がある」と決めつけ、開成高校など私立6年制受験校卒の人間、およびその下位互換の下位互換みたいな私立高校卒の人間は「そんなもの(大学受験に出ないのに)何の価値があるんだ」と言い、「何の価値があるんだ」と信じて一生送るようです。なおかつ、彼らはそれを自慢しています。

家族の政治学 (1979年) - R.D.レイン, 阪本 良男, 笠原 嘉

家族の死 - デーヴィッド クーパー, Cooper,David, 嘉寿, 塚本, 嘉, 笠原
展望室から北側、下を見下ろすと ↓
↑ 写真はクリックすると大きくなるので大きくして見てください。
↑ 通天閣から北側に3本の道路が伸びているうちの正面の道沿いの部分です。 足元のビルの右の方の上の方に「釣鐘まんじゅう」と書かれ、屋上に釣鐘のオブジェがあるビルがありますが、「釣鐘まんじゅう」https://tsuriganeyahonpo.co.jp/products/detail.php?product_id=8 や「芭蕉」https://tsuriganeyahonpo.co.jp/products/detail.php?product_id=10 などの 総本家 釣鐘屋本舗 https://tsuriganeyahonpo.co.jp/ の店です。
なかなか、おいしい♪
屋上の釣鐘のオブジェは通天閣の展望室から見て、「あ、釣鐘のオブジェがある♪」と気づくように設けられているのかと思います。 東京の浅草の隅田川の対岸のアサヒビールのビルの屋上にある「う〇こみたいなやつ」より、こっちの方が上品でいいと思います。
隅田川の東側のアサヒビールの屋上にある「う〇こみたいなやつ」は、首都高速道路のそばでもあり、クルマを運転するドライバーが「あの う〇こみたいなやつ、あれ、何なんだろうなあ」と多くの人間が言うのですが、ビルの前に行くと説明書きがあって、アサヒビールの建物だけに屋上に「ビールの泡」をオブジェとして設けたそうです・・・が、説明書きを見ると「そうか、アサヒビールだけにビールの泡だったのか」とわかりますが、首都高速道路を走るドライバーはどこの会社のビルなのかわかりませんから、多くの人間が「う〇こみたいなやつ」と言っています(笑) 総本家 釣鐘屋本舗 の上の釣鐘のオブジェは、面白みもあり上品でいいと思います。
※ 「う〇こみたいなやつ」⇒「アサヒグループ本社ビル あの金色の建物はなに」https://harenohi.asahigroup-japan.co.jp/play/2023/04/12/n/
「釣鐘まんじゅう」を製造販売している店は、通天閣のすぐ北の 総本家 釣鐘屋本舗 ともう1軒、四天王寺の南西、谷町筋の東側に 総本家 釣鐘屋 https://tsuriganeya.jp/ があります。 どっちが本物でどっちがパチモンか・・というと、ウィキペディアー総本家釣鐘屋 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E6%9C%AC%E5%AE%B6%E9%87%A3%E9%90%98%E5%B1%8B によると、総本家釣鐘屋 の方が先だけれども、総本家釣鐘屋本舗 はパチモンではなく《 浪速区にある、類似店名の「釣鐘屋本舗」は総本家釣鐘屋から暖簾分けで発生した企業であり、現在はそれぞれ独立している。》そうで、どちらも決して「パチモン」ではないそうです。 それぞれの店に行って買った場合は、どちらの物かわかるのですが、最近、「いかり」でも釣鐘饅頭や芭蕉を売っていて、なつかしい「釣鐘饅頭」じゃないか、「芭蕉」じゃないかと思って買って食べてなつかしい味を喜んでいたのですが、その店まで行って買ったのでなく「いかり」とかで買った場合は、「え? どっちのだっけ」と思い、まあ、おいしかったらいいか・・とか思ったり。
うちの母は天王寺区の生まれで、釣鐘饅頭がけっこう好きだったのですが、おそらく、母もどっちの店のものかわからずに食べていたのではないか、と思います。

名代 芭蕉 1本
↑「芭蕉」。 なかなか、おいしい♪
↑ これが、あの有名な「ビリケンさん」。
ウィキペディアービリケン https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%AA%E3%82%B1%E3%83%B3
《 ビリケン(Billiken)は、尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている幸運の神の像。 1908年10月6日にアメリカ合衆国のフローレンス・プレッツがデザイン特許を取得した。
日本では大阪の通天閣 5階(展望台)にあるビリケン像が有名で、「ビリケンさん」の愛称で親しまれ、特に足を掻いてあげるとご利益があるとされている。 》
《 元々はアメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティの美術教師・イラストレーターであったフローレンス・プレッツ(Florence Pretz、1885年 - 1969年)によって、親友の詩人サラ・ハミルトン・バーチャルが『ザ・カナダ・ウェスト』に連載していたおとぎ話であるビリケンシリーズのため、1907年ごろにデザインされたものである。》
と出ています。
5階の上、「R5F」として、金網で囲まれた屋外の空間から周囲を見ることができる部分があります。↓
東京もんは「通天閣、ちっさ。みじめ」と言ってバカにするのが大好きですが、東京タワーにはこういう場所はなかったと思います。
網の所と、↓ のような所とあったのですが、どっちがどこにあったか、帰って何日か経ってよくわからなくなってしまいました。
↑ 左の背の高いのがアベノハルカスで、手前の道路は阪神高速道路松原線 かと思います。
地下1階まで行かされてから地上に登って出るようになっているようで、地下1階に「グリコ、つぶしたる」「森永、ゆるしたる」のグリコと森永の店、それにチキンラーメンの日清食品の店が出ています。

チキンラーメン 5食パック 日清食品 インスタント 袋麺 (85g×5食)×6個
通天閣を出て北に進む道を行くと、右側に ↓
↑ 釣鐘屋本舗 の店(浪速区恵美須町の方)があります。
かつて、四天王寺にあった鐘をモチーフにした「釣鐘饅頭」でしたが、戦中の金属供出で四天王寺のその鐘はなくなってしまいましたが、釣鐘饅頭は今も健在。
東京もん〔多くは巨人ファン〕 には、なにかと大阪と阪神タイガースをけなしたがるおっさんが多く、通天閣・・というと、「通天閣、ちっさ。みじめ!」とか言って喜ぶのですが、(株)一条工務店 にいた時も、1990年代、福島県いわき市の営業所に勤務していた際、同じ営業所にいた、東京出身(東京都大田区の雪が谷大塚のあたりの生まれらしく、その頃は川崎市中原区に家族がいての単身赴任)の「木南さん」(仮名)(男。1990年代当時、40代)が「通天閣、ちっさ♪」とか、「大阪の人間は心が狭くてけちくさいから通天閣も低いんだ」とか、特に相手が大阪出身の人間だと思うと、「これでもかあ」とそういうことを言いまくるのでしたが、東京タワーとか名古屋タワーと比べると通天閣は低く、東京スカイツリーと比べるともっと小さいのは事実ですが、東京タワー・名古屋タワーや東京スカイツリーは電波塔として作られたものなので、ある程度以上の高さにするしかないのに対して、通天閣は電波塔ではなく、大阪のテレビは生駒山から電波は来ていた、生駒山という自然の電波塔があったことから東京タワー・名古屋タワーのようなものを作る必要はなく、通天閣はあくまでも娯楽専用のものとして作られたものなので、東京タワー・名古屋タワーのような高さにする必要はなかったのです。 ↑ の写真を見ると、むしろ、この高さの方が親しみがもてるようにも思えます。
通天閣 公式ガイド https://tsutenkaku.co.jp/pdf/Tsutenkaku-guide.pdf には「なんかいい 通天閣」と書いてあるのですが、「なんかいい」と「なんかい(南海)」をかけたもののようで、どうも、南海電鉄と通天閣は関係あるみたいですね。
ウィキペディアー通天閣 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%A4%A9%E9%96%A3 にも出ていますが、通天閣の設計者は内藤多仲 という人で、施工は大阪市阿倍野区に本店を置く奥村組だったらしい。
《 「通天閣」とは「天に通じる高い建物」という意味で、命名したのは明治期の儒学者、藤沢南岳》、《 現在の通天閣は2代目で、1912年に初代通天閣が誕生した後、1956年に現行の塔が建造されている 》 《 2007年5月15日に登録有形文化財となった》らしい。
(株)一条工務店にいた、1990年代は福島県いわき市の営業所にいた「東京もん」の「木南さん」(仮名)(男。1990年代当時、40代前半。東京都大田区の雪が谷大塚のあたりの生まれだそうで、川崎市中原区に家族がいての単身赴任)は「通天閣、ぶさいく! 悪趣味!」とか言いたがるのですが・・、なおかつ、それで東京タワーはいいらしいのですが、
設計者の内藤 多仲(ないとう たちゅう、1886年〈明治19年〉6月12日 - 1970年〈昭和45年〉8月25日)は通天閣だけでなく、
1954年 名古屋テレビ塔
1956年 (2代目)通天閣
1958年 東京タワー
の設計をおこなっている人で、東京もん は通天閣を一生懸命ばかにしますが、設計者は東京タワーと同じ内藤多仲で、通天閣の方が2年前の竣工です。 なぜか、通天閣と東京タワーは登録有形文化財で、名古屋電波塔(名古屋タワー)は重要文化財になっているらしい。
「木南さん」(仮名)のような「東京もんのおっさん」は、なんとかして大阪と阪神タイガースと通天閣をけなそうとするのですが、「通天閣、ちっさ。みじめ♪」とか言って、それでけなしたつもりらしいのですが、東京タワーや東京スカイツリーは電波塔なので、電波塔としての高さが必要なのですが、通天閣は電波塔ではなく娯楽目的専用のものですから、電波塔ほど高くする必要はない、ということがあります・・が、それ以上に、そういうことを言う人間の精神の貧困さがそこに表されるようなもので、たとえば、五重塔と三重塔だと、三重塔より五重塔の方が高い分だけ値打ちがあるみたいに私も子供の頃は思っていたのでしたが、実際に三重塔を見てみると、実はそうでもないのです。
これまで、実際に前まで行って見たものとしては、とりあえず、思い浮かぶものとして、
五重塔は、
中山法華経寺(千葉県市川市)
上野東照宮・・なのか上野動物園なのか(東京都台東区)
池上本門寺(東京都大田区)^
東寺(京都市)
仁和寺(京都市)
興福寺(奈良市)
法隆寺(奈良県 斑鳩町)
四天王寺(大阪市天王寺区)
・・と見てきましたが、
奈良市の薬師寺の東塔と西塔とは六重の塔みたいですが三重塔だそうだけれども、あれは六重塔みたいな三重塔だから別として、
正真正銘の三重塔としては、岐阜県高山市の飛騨国分寺の三重塔を見学したのですが、少し離れた所から飛騨国分寺の三重塔を見て、三重塔は決して五重塔に劣ってないな・・と思ったのです。むしろ、五重塔ほど高くない三重塔はかえってその方がいいようなところもある、と思ったのでした。
「◇◇タワー」というものは、どうしても「高さを競う」みたいになってしまうところがあるのですが、通天閣は別に高くなくても、この場には「ちょうどいい」ように思うのです。特にJR「天王寺」駅から見て、通天閣て「ちょうどいい」高さだな、と思ったのです。そして、今回、登ってみて、通天閣の展望台くらいの高さからの見晴らしというのは、東京スカイツリーとか東京タワーとかの展望室からの見晴らしと違って、通天閣の展望室くらいの高さから見るものもまた、これもいいのではないか、考えようによってはこちらの方が近隣を見るにはいいのではないか・・と思ったりもしたのです。
なんでも、高ければいいという発想・思考は「いなかもんの発想」です。
そして、東京もんの「木南さん」(仮名)は「通天閣、ぶさいく。悪趣味」とか言うのですが、それでいて東京タワーはいいらしいのですが、おそらく、知らないか忘れているのだと思うのですが、通天閣(2代目。現在の通天閣)の設計者と東京タワーの設計者はどちらも内藤多仲で、同じ人の設計で、通天閣の2年後に東京タワーはできているのです。 なんか、一生懸命、大阪と大阪のものをけなそうとする「東京もんのおっさん」というのは、論理的でないのです。
※ 飛騨国分寺(岐阜県高山市)については⇒[第459回]飛騨国分寺から鍛冶橋、高山別院照蓮寺をへて東山白山神社へ-東山遊歩道(高山市)前半を歩く(1)https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/201610article_15.html?1768778056
今では近くにアベノハルカスができて、アベノハルカスにも展望室 https://www.abenoharukas-300.jp/observatory/index.html があるようですが、私は通天閣の方がいいなあ・・・。
1970年代前半、中学校の「地理」の授業の時に、「地理」の教諭が「京都とか神戸は観光地があるけれども、大阪は大阪城くらいで、ほかは何もないやろ」と言うので、「通天閣がある」と私が言ったところ、「こらこら、坂田三吉か」と言われたのだったが、何のことかようわからんかった。 坂田三吉て誰なのか、その時はわからなかったが、それ以上に、なんで、通天閣ならいかんのかわからなかった。今では通天閣は国登録有形文化財にも指定されているもので、なぜ、通天閣ならいかんのか、今もわからない。
※ ウィキペディアー坂田三吉 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E7%94%B0%E4%B8%89%E5%90%89
※ YouTube-村田英雄 王将より坂田三吉物語(5分25秒) https://www.bing.com/videos/riverview/relatedvideo?q=%e5%9d%82%e7%94%b0%e4%b8%89%e5%90%89&mid=695A57EE7BFCD32F8727695A57EE7BFCD32F8727&FORM=VIRE
そんなことよりも、たしかに京都と奈良は戦争中に爆撃をうけなかったことから寺社などの古くからの建物が残っているのに対して、大阪は戦中に爆撃を受けて喪失した建物が多いが、だからといって、大阪に文化財がないわけではなく、又、関西の人間にとって大阪は「勤めに行く所」であるのに対して、京都・奈良は「観光に行く所」みたいなところはあるとしても、それでも「大阪には観光地は何もないやろ」というのは、そう思っている人が中にいてもしかたがないけれども、まがりなりにも「地理」の先生にそういうことは言ってもらいたくないなあ・・と思うようになった。
住吉大社はどうなんだ。四天王寺はどうなんだ。大仙陵古墳(私が子供の頃は「仁徳天皇陵」と言っていたが、今さら「違いましたあ」なんて言われてもなあ)は。河内長野の観心寺はどうなんだ。島本町の水無瀬神宮はどうなんだ。 今では難波の宮跡なんてのも出現した。
・・ともかく、「京都や奈良と違って大阪は何もないやろ」なんて、そんな「大阪嫌いの東京もんのおっさん」が言うみたいな文句をまがりなりにも大阪府の中学校の「地理」の先生に言ってもらいたくないなあ・・と思うようになったのだ。あの文句は「地理」を教えている教諭としては少々情けないのではないか・・と思う。その先生と仲が悪かったわけでもないが、その発言については「あんた、いったい何の先生やねん」と言いたくなる発言だった。
長い目で見るならば、日立金属(株)はハリコの虎である。
(2026.1.18.)
☆ 通天閣(大阪市浪速区)
1.松屋町筋から見た通天閣。北から・南から見た通天閣。「日立」のネーム入り。「うちは日立ですからねえ」の会社は「うちは一部上場ですから」の会社とともに「三流以下企業」か。 「滅びよ、日立金属(株)」と思っても個人が購入する商品でない者は「買わない」もできない・・と思ったら「日立」でなくなり「上場企業」でもなくなった( 一一) 駅弁大卒の人事部長は思いあがるな。個人・一般人が買う商品でないからやりたい放題・・と思っている会社は「長い目で見るならばハリコの虎」https://sinharagutoku2212.seesaa.net/article/519739444.html
2.展望室から見えるアベノハルカス・天王寺公園・市立美術館。展望室から見える釣鐘屋本舗。ビリケンさん。「グリコ、つぶしたる」のグリコと森永がある地下。「大阪は何もない」などと「大阪嫌いの東京もんのおっさん」が言うような文句は言ってもらいたくない。通天閣の設計者 内藤多仲 は東京タワーの設計者でもある。〔今回〕

家族関係を考える (講談社現代新書) - 河合隼雄

小林秀雄と中原中也 (講談社文芸文庫) - 秋山駿
この記事へのコメント